2つの生きる意味
d0164816_18190533.jpg
南フランス プロヴァンス (2014/5/6)

人生の旅の荷物は夢ひとつ
(黒田裕子)

( ´~`)ノハーイ
やりたいことがなくなったと
年初に書きました
(o´~`)
抜け殻のようになってつくづく思うのは
人生とは情熱がすべてである
ということです
(o´~`)ホエ?
たとえどんなに優秀な人でも
行動を起こさなければ何も成せません
(o´~`)
人生とは考えるだけではどうにもならないので
生きるとはすなわち
行動し続けることです
(o´~`)
行動によって自分の人生が切り開かれていくのです
(o´~`)
しかし行動には
受動的(消極的)行動と
主体的(積極的)行動の2種類があります
(o´~`)ホエ?
前者は
勉強したくないけど、仕方なく学校に行く
仕事したくないけど、仕方なく会社に行く
というような受動的な行動です
(o´~`)
後者は
自分がこれをやりたいからやる
という自発的・主体的な行動です
(゜~゜)ノぁぃ
おそらく誰もが
お金持ちになりたいとか
出世したいとか
頭が良くなりたいとか
美しくなりたいとか
モテたい愛されたいなどの願望を持っていることでしょう
(o´~`)
しかしただ思っているだけの人と
実際に目的に向かって行動を起こす人との間には
大きな隔たりがあるのですよ
(o´~`)
なぜなら主体的行動を起こすためには
情熱が必要だからです
(o´~`)
やりたいことがあっても
行動するのが面倒に感じる人
すぐに飽きて投げ出す人
失敗して挫けてしまう人は
情熱が足りないからです
(o´~`)
情熱のある人は
人から言われなくても自分で行動を起こすし
失敗しても何度も立ち向かっていくし
決して諦めたりはしません
(o´~`)
つまり世の中というのは
能力の有無よりも
情熱の有無の方がずっと重要なはずなのです
(o´~`)
ふみっこが今までの人生で出会った
人並み外れた成果を出してきた人たちは
例外なく行動力のある(=情熱のある)人であり
一方で何年経っても進歩しない人たちは
行動力のない(=情熱のない)人でした
(o´~`)
しかし人並み外れた情熱があったとしても――
世の中の全員が
自分のやりたいことをやれるわけではありません
(o´~`)
プロスポーツ選手やアーティストになりたくても
なれる人はごく少数です
(o´~`)
ずっと夢見ていたやりたいことが
現実にぶち当たってできなかった
そんな人は世の中に大勢いるでしょう
(o´~`)
しかしそれでも
人生を諦める(自殺する)人は滅多にいません
(o´~`)
人生でやりたいことがなくても(叶わなくても)
人は生き続けるのです
(o´~`)
これは重要なポイントです
(o´~`)
人間には生命としての生存本能があるので
「生き続けていたい(死にたくない)」
「(お腹が空いたら)ご飯を食べたい」
「(親であれば)子どもを守り育てたい」
というような本能が働くからです
(o´~`)
なので人生に夢や希望がなかったとしても
やりたいことが何もなかったとしても
戦争や貧困の極限状態にあっても
人間は生きることをやめないのです
(o´~`)
日本がどんなに貧しい国になっても
戦争状態になっても
みんな変わらずに生きていくし
実際に太平洋戦争の時はそうだったわけです
(o´~`)
ただ生きるために生きていくこと
それはどうしようもなく生まれつきプログラムされているものであって
私たちは生命としての本能プログラムに抗うことはできません
(o´~`)
つまり人生とは各自のやりたいこと、自己実現、夢――
のためにあるわけではなく
根本的には
生命としての生存本能のためにあるのです
(o´~`)
しかし・・・です
(o´~`)
ただ「生きられること」がすなわち幸せであると
平和な世の中で仕事があり食事に困らない人生が
すなわち幸せであるというような考え方に
ふみっこは昔から違和感を持っていました
(o´~`)ホエ?
なぜならそれは
特にやりたいことはないけれど
ただ生きていく(食べていく)ために受動的に生きるということであって
それはすなわち
生存本能に従って生きるということです
(o´~`)
それは生命として生まれた以上、当然のことであって
すごいことではないはずで
動物の生き方と変わらないかもしれないのです
(o´~`)
ふみっこは
そういう生き方で満足したくはありません
(o´~`)
自分はどうしてもこれがやりたい
ただ生存のためではなく
自分のやりたいことをやるために
何かを成すために生きる
というような情熱を持っていたいのです
(o´~`)
人生とは情熱がすべてであり
情熱があれば何でもできるはずです
(o´~`)
ふみっこはかつて
「(会社組織で)働きたくない」
「世界を見たい」
「本質的なことを考えたい」
といった情熱があったからこそ
個人投資家になり
世界60ヶ国旅行者になり
空想哲学者(笑)になったのですよ
(o´~`)
しかしそんな情熱が
今のふみっこにはありません
(o´~`)・・・
そのように考えると
人生には2つの生きる意味があります
(o´~`)ホエ?
ひとつは、ただ生きるために生きること
(生命としての生存本能)
(o´~`)
もうひとつは
情熱や夢を携えて
やりたいことのために生きること、です
(o´~`)ノハーイ

人間からウイルスに至るまで、植物も含めて
全ての生命あるものの行動の目的は一点に集約されるのよ
生命を永久に存続させようという盲目的な衝動・・・
ただそれだけ
この世にありたいということ
ありつづけたいということ
ただそれだけ
(藤子・F・不二雄 SF短編「カンビュセスの籤」)

人生の旅の荷物は夢ひとつ
(黒田裕子)

# by fumiblog | 2015-02-20 18:00 | 空想哲学 | Comments(66)
ドナウ公園の思い出
d0164816_23462213.jpg
ウィーン ドナウ公園 (2015/1/3)

過去にどんなにすばらしい経験をしていたとしても、
未来は、今日、あなたが何をするかにかかっている

人生を力強く歩むためには、目標意識が必要だ
どこに向かっているのかを知らなければ、正しい努力さえできないからだ
(石井希尚「明けない夜はない」)

( ´~`)ノハーイ
年末年始にウィーンに行った
と2つ前の記事で書いたけど
ウィーンは学生時代のバックパック旅行で行ったことがあるので2回目でした
(o゜~゜)o
ふみっこにとってウィーンは
特別な思い入れのある街なのですよ
(o゜~゜)oホエ?
それは3ヶ月間の長期旅行で
エジプト(1週間)
イスラエル(1週間)
ギリシャ(2週間)
イタリア(2週間)
という最高に充実した1ヶ月半の旅程を経て
オーストリアの首都ウィーンに到着したのです
(゜ロ゜)
ふみっこの長期旅行はその後
東欧を周ってトルコまで行って
イスタンブール発のフライトで帰国するというものでした
(゜~゜)
ウィーンはガイドブックなしで訪れたので
どういう都市で見所が何なのかもまったくの無知でした
(゜~゜)
特に興味もなかったのでウィーンは1泊だけにして
すぐにハンガリーのブダペストに移動するつもりでした
(゜~゜)
イタリア・ミラノ発の夜行列車で
ウィーンの大きな駅に朝着きました
(゜~゜)
1泊はするので
観光案内所に行って
無料の地図をもらってユースホステルの場所を聞きました
(o゜~゜)o
イタリアのボロ汚いユースホステルと比べて
新しくて清潔で快適でした
(゜ロ゜)
ドミトリー(複数ベッドの相部屋)で当時1泊1500円ぐらいでした
ちなみに現在の価格を調べたら18EUR(2400円)でした
これは西欧としては安い方です
(゜~゜)
荷物を宿に置いて街歩きを始めると
すぐに街並みの美しさに圧倒されました
(゜ロ゜)ギョエ!!
ふみっこはそれまでの旅程で
イタリアやギリシャをじっくり観光したので
ヨーロッパの街並みがどういうものか
ある程度わかっていたはずなのに
ウィーンの街並みの美しさというのは
イタリアと比べても別世界で
上品な高貴さに満ち溢れているのです
(*゜ロ゜)
それと同時に人が少なくて静かなのですよ
(*゜ロ゜)
そのような人の少なさ静けさが
整然とした高貴な雰囲気を漂わせているのです
(*゜ロ゜)
こんなに美しい街がこの世にあったのかしら?
と衝撃を受けながら街を練り歩きました
(*゜ロ゜)
とにかく街を歩いているだけで驚きと感動の連続で
特に目的もなく街中を歩き回っているだけでも
まったく飽きませんでした
(*゜ロ゜)
当初は1泊だけのつもりだったけど
毎朝延泊を申し出て
結局ウィーンには1週間滞在しました
(*゜ロ゜)
街の中心部にある市庁舎前広場では
屋外に巨大スクリーンと椅子が設置されていて
毎晩無料でコンサート映像を見ることができたので(夏季限定)
ウィーン滞在中は毎晩のように見に行きました
(*゜ロ゜)
ウィーンには美術史美術館や
シェーンブルン宮殿といった有名な見所があって
同じ宿に泊まっていた旅行者から
そういった見所があるというのは聞いたのだけど
特に興味が沸かなかったので行きませんでした
(゜Д゜)ハァ?
今考えると不思議だけど
ウィーンに一週間もいて
入場料を払うような観光名所は何も訪れてないのだけど
ただ街を歩いたりお店を見て周っているだけで
ふみっこはずっと興奮と感動の連続だったわけです
(*゜ロ゜)
ウィーン滞在中に
地図の端に載っていた
ドナウ公園(Donaupark)というところに地下鉄に乗って行ってみました
(*゜ロ゜)
ドナウ公園はドナウ川沿いにある広大な公園で
人がほとんどいませんでした
(*゜ロ゜)
こんなに静かで美しい公園が世の中にあるのか!
とふみっこはひどく感動して
その公園で半日ぐらいぼーっとして過ごしました
(*゜ロ゜)
ウィーンの美しい公園で過ごす何もしない休日
それは今までの人生で味わったことがない
贅沢で優雅なひとときでした
(*゜ロ゜)
1泊1500円のユース泊まりで
お金はほとんど使ってないのに
ふみっこのウィーン滞在は
人生最良のひとときだったのです
(*゜ロ゜)
公園でのんびりしている時
この旅行に来て本当に良かった
この旅行を契機として
自分も大きく変わったし
人生もこれから大きく変わっていくだろう
と深く実感し
これからの人生は
自分のために生きたい
と思ったのです
(*゜ロ゜)ホエ?
ふみっこが「普通の日本人」であれば
こんな自由旅行をすることはなかったでしょう
(*゜ロ゜)
しかしふみっこは
「一人で自由に海外旅行をしたい」「いろいろな国に行ってみたい」
という情熱や欲求があったからこそ
いまウィーンという素晴らしい地にいるのですよ
(*゜ロ゜)
人や世間の言うことに従って受動的に生きていたら
こんな自由な旅行や生き方はできないでしょう
(*゜ロ゜)
だからこそ
自分の情熱や欲求に従って生きること
すなわち社会や人々のためではなく
「自分のために生きること」が
大事だと思えたわけです
(*゜ロ゜)
そんなわけで学生時代に訪れた都市では
とりわけウィーンが良くて
海外で一番良かった都市を聞かれたら
ウィーンと答えていました
(*゜ロ゜)
そうして2014年という最悪の一年を経験して
人生に行き詰ったふみっこは
学生時代以来十数年ぶりに
自分探しのために
ウィーンを訪れたわけです
(´~`)アハハ
そうしたら
以前とは逆の意味で衝撃を受けました
(o゜~゜)oホエ?
それはウィーンの中心地は人が異様に多くなっていて
人混みでなんだかごちゃごちゃしていたのです
(゜~゜)
その大半がユーロ圏からの観光客のようでした
ウィーンはいつの間にか人気観光都市になっていたのです
(゜~゜)
旅行者の多さもあって
ウィーンらしさがあまり感じられないというか
雑多で観光地化した印象を受けました
(゜~゜)
街並みも以前感じた静けさ、高貴さがあまり感じられず
まるで別の街に来たようで
たしかに美しくはあるのだけれど
ヨーロッパにありふれた街並という印象を持ちました
(゜~゜)
ウィーンはもともとこんな感じだったのかもしれないし
ふみっこの思い出が極度に美化されていたのかもしれません
(゜~゜)
しかしこれなら北欧のオスロやストックホルムの方が
ずっと美しくて静かで高貴だと思ったのです
(゜~゜)
思い出のドナウ公園にも行ってみたのだけど
えぇーこんなところだったの!?まじっこ!?という衝撃がありました
(゜ロ゜)ギョエ!!
冬ということもあるだろうけれど
人がほとんどいなくて
こんなにうらさびれた寂しい公園があるのか・・
という感じの寂しい雰囲気を漂わせていたのです
( ゜д゜)ポカーン
ふみっこの思い出は極度に美化されていたのでしょうか
( ゜д゜)
目の前に広がる光景は
たしかに十数年前に訪れた場所と同じはずでした
( ゜д゜)
この地でふみっこは深く感動したはずなのに
そこはすでに一時代が過ぎ去って
人々から忘れ去られたような
うらさびれた空虚な公園に見えました
( ゜д゜)
しかしそれはある意味で
ふみっこの心境を反映したような光景だったのです
( ゜д゜)
完全に終わった・・・と思いました
( ゜д゜)
「自分のための人生を生きる」
当時のふみっこはこの地で主体性に目覚めて
夢と希望と可能性が広がっていたのに
十数年の時を経て
ふみっこは同じ地で
「もうやりたいことがなくなってしまった・・・」
という失望感につつまれたのです
( ゜д゜)ポカーン

人間の生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くないんです
というのは人間は何か理想なり、何かのためということを考えているので、生きるのも自分のためだけに生きることには飽きてしまう
(三島由紀夫)


# by fumiblog | 2015-01-24 23:52 | 旅行 | Comments(12)
利己心から社会貢献へ
d0164816_23141067.jpg
ウィーン シェーンブルン宮殿 (2015/1/2)

ぼくが自由になった年のことです
非常に辛い数ヶ月を送りました
なにをしたらいいのかわからず
人びとが集まっているのに出会うと、そっと中に入り込みました
あるときなど、知らない人の葬式について行ったことがあります
ある日、絶望のあまり集めた切手を火中に投じました・・・
しかしぼくは進むべき道を見出したのです
(サルトル「嘔吐」)

( ´~`)ノハーイ
普段ネットをしていて
(゜ロ゜)ギョエ!!
という衝撃を受けることはあまりないですが
先日大変な衝撃を受けたので
今回はそのことについて書かせてもらいます
(゜~゜)ゴクリ
ふみっこは株の専業トレーダーなので
情報収集の意味で
有名な専業トレーダーのブログやtwitterを
50個ぐらいfeedlyにRSS登録して巡回しています
(゜~゜)
twitterもtwilogを経由することで
ブログのようにRSSで登録できます
(゜~゜)
そんなにちゃんとは見てないけど
一応いろんな人のブログを登録しているわけです
(゜~゜)
その大半がふみっこよりもずっと上手い人で
億トレーダーもたくさんいます
(゜~゜)
当然のことながら
下手な人のブログを見るよりも
上手い人のブログを見た方が参考になったり刺激を受けるでしょう
(゜~゜)
しかしながら
「自分よりもずっと上手い人、儲かっている人」のブログというのは
見ていて複雑な気持ちにもなるんですよ
(o゜~゜)oホエ?
なぜなら彼らと自分を比較することで
自分の実力のなさというものを嫌でも思い知るし
羨望や嫉妬の感情が渦巻くわけです
(つ~`)ぐすん
つまり「(相当に)儲かっているトレーダー」というのは
「いいなー自分もそのぐらい儲けたいなー」という「憧れ」の対象にはなりえても
「(社会的に)素晴らしい人だなー尊敬できるなー」という「尊敬」の対象にはまずならないんですよ
(o゜~゜)oホエ?
それは専業トレーダーというのは
社会貢献的な職業ではないからです
(゜~゜)
高収入ゆえの多額の税金を支払っていたとしても
それが社会貢献だとはほとんどみなされません
(゜~゜)
それは世間的に偏見があるから
というわけではなく
ふみっこ自身も社会貢献的な仕事ではないと思っています
(´~`)アハハ
それでもBNFを始めとして
株で儲かっている人が
雑誌やテレビの取材に応えたり
ブログなどで情報発信したりするのは
社会的人間としての
「承認欲求」や「自己顕示欲」があるからです
(o゜~゜)oホエ?
株の売買は自分の中だけで完結するので
ブログなどを通じて自ら情報発信しない限りは
誰も自分の売買のことを関知しないし
人や社会に影響を与えることも感謝されることもないのです
(経営に影響を与えるほど株を大量保有すれば別)
(゜~゜)
つまり「他者の反応」とか「社会貢献」という意味での見返りを
一切得られない仕事なので
とても自己完結的なのです
(゜~゜)
専業トレーダーが自己完結的な仕事であることに対して
ふみっこは問題意識や葛藤を持ってはいませんでした
(o゜~゜)oホエ?
そもそも社会貢献したいとか
人に影響を与えたい感謝されたいというのならば
専業トレーダーなんかを志すべきではなくて
直接社会と関わる仕事をすべきだからです
(゜~゜)
相場というのは自己完結的であるがゆえに
「自分が儲かればいい」「自分が生き残ればいい」
という利己的な人ほど向いているのであって
お人好しの人は向いてないわけです
(゜~゜)
生き馬の目を抜く食うか食われるかの戦場で
生き残って勝ち続けるためには
「自分が儲かる」ための利己的な行動をし続けなければならないのです
(゜~゜)ノぁぃ
前置きが長くなりましたが
ここからが本題です
(o゜~゜)oホエ?
ふみっこが衝撃を受けたのは
以下の2つの動画です
(゜ロ゜)
どちらもネットで無料で見れます
時間のない人は上の方だけ見てください
(゜ロ゜)
(゜ロ゜)
結論から言えば
本来は自己完結的で利己的で私利私欲にまみれた相場の世界において
五月さんは日本のネット世代の個人投資家で(たぶん)初めて
「人から尊敬されうる」こと
すなわち「社会貢献」を始めたのですよ
((;゜ロ゜)oプルプル
数百億円という圧倒的規模で儲けている
BNFcisといった人たちも目指さなかった新しい道を
五月さんは開拓者として歩み始めたのですよ
((;゜ロ゜)oプルプル
元ニートのネットゲーマーだった人でも
こんな生き方ができるのか!と
ふみっこは衝撃を受けました
((;゜ロ゜)oプルプル
五月さんの生き方が
あまりにもまぶしくて
かっこよくて
素敵だと思えたのです
((;゜ロ゜)oプルプル
そうして思ったのは
「利己的に自分の私利私欲を満たすこと」よりも
「社会貢献」というのは
より高いレベルに存在するんですよ
((;゜ロ゜)oプルプル
だからこそ「羨望」や「嫉妬」ではなく
より高次の「尊敬」という敬意を持たれうるのです
((;゜ロ゜)oプルプル
経営学のドラッカーや
松下電器の松下幸之助
京セラの稲盛和夫など
歴史に名を残す優れた経営者は
ほぼ例外なく
高い志を持っていて
自社のため私利私欲のためではなく
社会貢献を第一義の目的としたからこそ
周囲の人々の心を動かし
多くの協力者を得て
幾多の困難を乗り越えて
大きなことを成し得たのですよ
((;゜ロ゜)oプルプル
大袈裟に言うならば
五月さんもまた
今までの個人投資家が持ちえなかった
「高い志」があったからこそ
ネット世代のトレーダー出身者が誰もやっていなかった
「社会貢献」という新境地を開拓して
「(羨望や嫉妬ではなく)尊敬されうる個人投資家像」を初めて提示できたのです
((;゜ロ゜)oプルプル
ところでふみっこが思うに
社会貢献が素晴らしいのは
単に社会や人々に貢献して役立つから、だけではありません
((;゜ロ゜)oホエ?
そこには「自分のため」「私利私欲のため」では決して到達しえない
より高次で濃密な「生きる意味」が広がっているからです
(o´~`)ノふわーい

人間の生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くないんです
というのは人間は何か理想なり、何かのためということを考えているので、生きるのも自分のためだけに生きることには飽きてしまう
(三島由紀夫)

# by fumiblog | 2015-01-19 00:08 | ふみっこ哲学 | Comments(12)
やりたいことがなくなる
d0164816_1344992.jpg
ウィーン ドナウ川 (2015/1/3)

私は自分自身にもはや自信がない
そして絵は夢のように思われる
(フィンセント・ファン・ゴッホ)

( ´~`)ノハーイ
ブログを書かないまま放置していました
(o´~`)
昨年は仕事も私生活も近年稀にみるひどい一年になって
ブログを書く気力も沸きませんでした
(o´~`)
しかしそれも
運が悪かったとか
誰が悪かったとかではなく
自分が悪いのであり
自分の能力のなさ
自分の判断力のなさ
自分の努力不足
などに起因するのです
(o´~`)
そうれあれば
「なるべくしてなった」ということであって
ふみっこはこの現実を受け入れなければならないのです
(o´~`)
人生は時として
耐えがたい厳しい現実に直面します
(o´~`)
そういう苦しい状況になった時に
その人の真価が問われるのは
敗北に屈して諦めたり投げ出したりしてしまうか
挫折から這い上がって立ち向かっていくか
なのです
(o´~`)
しかし人間は
常に自分のせいにして生きられるほど
強くはありません
(o´~`)
なので多くの人は
人のせい
社会のせい
政治のせい
親のせい
ヘッジファンドのせい
アルゴリズム取引のせい
にします
(´~`)アハハ
しかし問題は自分の中にあるのです
(o´~`)
それでも能力には個人差があり
進学、就職、恋愛、相場wなど
人生は様々な点で
勝者と敗者が生まれます
(o´~`)
それらは努力である程度解決できるとしても
そもそも上手く努力ができない人もいるし
気力やエネルギーの個人差も大きいです
(o´~`)
そのように考えていくと
個々人が生まれながらに持ったもの
すなわち「遺伝子のせい」
によるところが大きい
というかそれがすべてだとも言えるのです
(゜Д゜)ハァ?
ふみっこもまた
生まれ持った能力には
どうしようもなく抗うことができずに
自分にできることは限られている
努力したとしても乗り越えられないことがある
と実感するのです
(o´~`)
それでも自分という人間をやめることはできないので
与えられた自分の世界を生きていくしかないのです
(o´~`)
そうして生まれつき自分に与えられた能力の中で
少しでも社会に貢献できる人間になろう
とか
人の役に立つことできる人間になろう
とか
大切な人のために、家族のために生きよう
などと思えたら素敵だけれど
そのようなポジティブ思考ができるかどうかもまた
生まれつきの遺伝子によるはずです
(o´~`)
そうして考えていくと
どうしようもなく
生まれつきの遺伝子――運命――には抗えないことになるのです
(o´~`)ガビーン
ところでそういったことよりも
もっとひどいことがあり
それはふみっこは
「やりたいことがなくなってきた」
のです
(o´~`)ホエ?
数年前はなぜあんなに熱心にブログを書いていたのだろう
と自分でも不思議になるぐらい
ふみっこはやる気がなくなってしまったのです
(o´~`)
最近は本もほとんど読まなくなってしまって
じゃあ何をしているかというと
仕事以外の時間は
何もせずぼーっと過ごす時間が増えています
(o´~`)ポケー
ところでふみっこは年末年始は5年連続で海外旅行をしていて
今年も年末は未訪問国ラオスかバングラデシュに行こうと思い
とりあえずバンコク往復フライトを半年以上前に予約していました
(バンコクからラオスかバングラデシュに飛ぶ)
(o´~`)
しかしラオスやバングラデシュに行きたいかというと
特に行きたくはないんですよ
(o´~`)
それらの周辺国
タイ、ミャンマー、ベトナム、カンボジア、インドなどには行ったので
街並みや雰囲気がどんな感じかもうだいたい想像できるのです
(o´~`)
もう東南アジアもうんざりしてきて
面倒になってきて
行きたくないと思ったので
12月になってからフライトをキャンセルしました
(o´~`)
海外旅行に行くだけの
お金や時間はあるのに
情熱がなくなってしまったということです
(o´~`)
つまりふみっこにとって
本を読むことも
ブログを書くことも
海外旅行に行くことも
もう特にやりたいことではなくなってしまったのです
(o´~`)ガビーン
人生はやりたいことのためにある
という記事を以前書きました
そうであればやりたいことがなくなった今
ふみっこは一体何のために生きているのでしょうね
(o´~`)
そうしてこのまま年末年始を日本で一人で過ごしていると
完全に敗残者みたいな気分になって
死にたくなってくるのではないか・・・と思えてきて
12月28日になってskyscannerで検索をしまくって
その日のうちに急遽フライトを予約して
慌ただしく準備をして
12月31日出発で日本から逃げ出すように
海外に行くことにしました
(゜ロ゜)ギョエ!!
旅行先はヨーロッパのウィーンです
(*^~^*)ノハーイ
今回はウィーンとブラチスラバ(ウィーンから電車で1時間)だけの
非常に楽な短期旅行だったのだけど
海外に行って外を歩き回っていると不思議と
主体性が回復してくるというか
自分が強い人間に
行動力のある人間に思えてきて
自信が回復してきて
何でもできるような気がしてきて
人生は自由で
無限の可能性が開けてくるように感じるんですよね
(*゜ロ゜)ノいけー
しかし帰国して数日経って
もう元に戻りました
(o´~`)アァー

人間の生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くないんです

というのは人間は何か理想なり、何かのためということを考えているので、生きるのも自分のためだけに生きることには飽きてしまう
死ぬのにも何かのためということがでてくる

それが昔言われていた大義というものです
大義のために死ぬというのが人間にとって華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だと考えられていた

しかし、いまは大義がない
これは民主主義の政治形態が、大義なんていらない政治形態ですから、当然なのですが、

それでも心のなかに自分を超える価値が認められなければ、生きてることすら無意味になるというような心理状態がないわけではない
(三島由紀夫)

# by fumiblog | 2015-01-11 01:50 | ふみっこ哲学 | Comments(9)
新しい世界を求めて
d0164816_10474752.jpg
南フランス エズ (2014/4/30)

新しいものが好きだとか、新鮮な刺激を好むという性質は、個人差が大きいものです
このような性質のことを脳科学では「新奇性探索傾向が高い」という言い方をします
新奇性探索傾向の高い低いは、ドーパミン受容体のタイプ4(DRD4)の遺伝子に原因があると考えられています

ちょっと専門的な話になりますが、このDRD4受容体というのは、タンパク質でできていて、ひもがくしゃくしゃっと丸まったようなものが、神経細胞の細胞膜に埋め込まれたような形で存在しています

このひもは、(中略) 表と裏とに出る回数(ある配列の繰り返し回数)が決まっています

この繰り返しの回数は、人によって違います

それは、鋳型となった遺伝子の塩基配列によって、生まれつき決まってしまうのですが、この繰り返し回数が多い人ほど好奇心が強く、より強い刺激を求めるということが、最近の研究でわかってきました

ようするに、新しいものに対する好奇心が旺盛で、より刺激を求めるタイプの人は、この繰り返し回数が多いというわけです

繰り返し回数の多い人の振る舞いとして特徴的なのは、新しもの好きであること、異性に目移りしがちなこと、飽きっぽいこと、ハイリスク・ハイリターンの勝負を好むこと、などです

こうした性質は、うまくコントロールすれば仕事がとてもできる人として評価を上げるでしょう

しかし、一歩間違うとただのギャンブラーになりかねない、という側面があるのも否めません
自分の特質を知って、じょうずに自分の脳を使いこなしていきたいものですね

ところで、人の遠い祖先である原猿類では、ドーパミン受容体における繰り返し回数は1回程度ですが、より高度な類人猿ほど、ドーパミン受容体の繰り返し回数が増えています

繰り返し回数が多いと好奇心旺盛になることを考えてみると、それまでの生活に飽き足らず、より新しい世界へ、新しい世界へと開拓を続けてきた種の末裔が人類といえるのかもしれません

(中野信子「東大卒の女性脳科学者が、金持ち脳のなり方、全部教えます」)

( ´~`)ノハーイ
まだ見ぬ新しい世界や
新しいものを求める
人類の好奇心が
文明や科学や芸術の発展をもたらしたと考えると
「好奇心」こそが
この世界を創ったのかもしれません
(o゜~゜)oホエ?
もし人類に
「生存(生きること)」と「種の保存(子孫繁栄)」の本能しかなければ
文明が発展する必要は別にありません
(o゜~゜)o
なぜならそれらは
動物もやっていること
動物のままであってもできることだからです
(o゜~゜)o
しかし現代のように
文明や科学や芸術が高度に発展し
平均寿命が飛躍的に伸びても
それで満足することなく
人類はまだ見ぬ新しい世界を求めています
(o゜~゜)o
斬新な作品がその斬新さゆえに流行っても
数年もすれば廃れていって
また新しく斬新な作品が次々に生まれます
(o゜~゜)o
人類は好奇心をエネルギーとして
新しい世界を求め
新しい世界を創り続けているのです
(ノ゜~゜)ノウィーン
しかし個々人における好奇心の有無というのは
脳のドーパミン受容体の構造に起因するもので
生まれつき異なっているというのです
(o゜~゜)oホエ?
そうであれば
その人の人生において
新しい何かを生み出すことができるか
またはフォロワーとして生きるのかは
生まれつき決まっているのかもしれません
(゜~゜)
しかし好奇心の有無に差があること
個々人に多様性があることは
人類にとってとても大切です
(o゜~゜)oホエ?
全員が好奇心が強くなってしまうと
地味な仕事
退屈な仕事をする人はいなくなってしまうでしょう
(o゜~゜)o
一方でみんなが堅実に無難に生きて
リスクを取らなくなってしまうと
リスクを取って未知の世界に飛び出す人
誰もやらないような新しいことを始める人は
いなくなってしまうでしょう
(o゜~゜)o
なので人類に発展と安定をもたらすためには
好奇心がある人もない人も必要なのです
(o゜~゜)o
そう考えるとこの世界というのは
とてもバランスが取れています
(o゜~゜)o
つまり世の中には
堅実に無難に社会を支えてくれる人がたくさんいて
それは決して我慢しているわけではなく
あくまでも本人がやりたいことをやっているだけなのです
(o゜~゜)oホエ?
そういう堅実安全路線な人に
株で生活して自由人になりましょうと資金を渡したとしても
そんなハイリスクなことはやりたくはないのです
(o゜~゜)o
そう考えると
「リスクを取って新しいことにチャレンジしましょう」と言ったり
「地に足をつけて堅実に生きましょう」と言ったところで
各人がどういう生き方をするかは
生まれ持った好奇心の有無の差で
自動的に決まってしまうものなのかもしれません
(゜~゜)
そうであれば
リスクを取るのも取らないのも
それが本人の適性、自分らしい生き方なのであり
どちらが良い・悪いという問題ではありません
(゜~゜)
各人が自分の適性・自分らしい生き方に従って
自由に生きればいいし
実際みんな自由に生きているのだと
ふみっこは思います
(´ロ`)
ところでふみっこが
あえて未訪問の国を選んで海外に行ったり
知らないことを知るために本を読んだりするのは
「新しい世界を求めているから」だとわかりました
(*゜~゜)ノ
そんな好奇心の強さゆえに
リスクを取って勝負に出ても
能力が足りてないので
株で大損しているのですが
(≧~≦)ぶは
現状の世界に飽き足らず
新しい世界を求めること
それは生存本能よりも高次に存在する
人類が追い求め続けた存在理由なのです
(*^~^*)ノハーイ
# by fumiblog | 2014-06-15 02:39 | 空想哲学 | Comments(26)