カテゴリ:空想哲学( 41 )
2つの生きる意味
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南フランス プロヴァンス (2014/5/6)

人生の旅の荷物は夢ひとつ
(黒田裕子)

( ´~`)ノハーイ
やりたいことがなくなったと
年初に書きました
(o´~`)
抜け殻のようになってつくづく思うのは
人生とは情熱がすべてである
ということです
(o´~`)ホエ?
たとえどんなに優秀な人でも
行動を起こさなければ何も成せません
(o´~`)
人生とは考えるだけではどうにもならないので
生きるとはすなわち
行動し続けることです
(o´~`)
行動によって自分の人生が切り開かれていくのです
(o´~`)
しかし行動には
受動的(消極的)行動と
主体的(積極的)行動の2種類があります
(o´~`)ホエ?
前者は
勉強したくないけど、仕方なく学校に行く
仕事したくないけど、仕方なく会社に行く
というような受動的な行動です
(o´~`)
後者は
自分がこれをやりたいからやる
という自発的・主体的な行動です
(゜~゜)ノぁぃ
おそらく誰もが
お金持ちになりたいとか
出世したいとか
頭が良くなりたいとか
美しくなりたいとか
モテたい愛されたいなどの願望を持っていることでしょう
(o´~`)
しかしただ思っているだけの人と
実際に目的に向かって行動を起こす人との間には
大きな隔たりがあるのですよ
(o´~`)
なぜなら主体的行動を起こすためには
情熱が必要だからです
(o´~`)
やりたいことがあっても
行動するのが面倒に感じる人
すぐに飽きて投げ出す人
失敗して挫けてしまう人は
情熱が足りないからです
(o´~`)
情熱のある人は
人から言われなくても自分で行動を起こすし
失敗しても何度も立ち向かっていくし
決して諦めたりはしません
(o´~`)
つまり世の中というのは
能力の有無よりも
情熱の有無の方がずっと重要なはずなのです
(o´~`)
ふみっこが今までの人生で出会った
人並み外れた成果を出してきた人たちは
例外なく行動力のある(=情熱のある)人であり
一方で何年経っても進歩しない人たちは
行動力のない(=情熱のない)人でした
(o´~`)
しかし人並み外れた情熱があったとしても――
世の中の全員が
自分のやりたいことをやれるわけではありません
(o´~`)
プロスポーツ選手やアーティストになりたくても
なれる人はごく少数です
(o´~`)
ずっと夢見ていたやりたいことが
現実にぶち当たってできなかった
そんな人は世の中に大勢いるでしょう
(o´~`)
しかしそれでも
人生を諦める(自殺する)人は滅多にいません
(o´~`)
人生でやりたいことがなくても(叶わなくても)
人は生き続けるのです
(o´~`)
これは重要なポイントです
(o´~`)
人間には生命としての生存本能があるので
「生き続けていたい(死にたくない)」
「(お腹が空いたら)ご飯を食べたい」
「(親であれば)子どもを守り育てたい」
というような本能が働くからです
(o´~`)
なので人生に夢や希望がなかったとしても
やりたいことが何もなかったとしても
戦争や貧困の極限状態にあっても
人間は生きることをやめないのです
(o´~`)
日本がどんなに貧しい国になっても
戦争状態になっても
みんな変わらずに生きていくし
実際に太平洋戦争の時はそうだったわけです
(o´~`)
ただ生きるために生きていくこと
それはどうしようもなく生まれつきプログラムされているものであって
私たちは生命としての本能プログラムに抗うことはできません
(o´~`)
つまり人生とは各自のやりたいこと、自己実現、夢――
のためにあるわけではなく
根本的には
生命としての生存本能のためにあるのです
(o´~`)
しかし・・・です
(o´~`)
ただ「生きられること」がすなわち幸せであると
平和な世の中で仕事があり食事に困らない人生が
すなわち幸せであるというような考え方に
ふみっこは昔から違和感を持っていました
(o´~`)ホエ?
なぜならそれは
特にやりたいことはないけれど
ただ生きていく(食べていく)ために受動的に生きるということであって
それはすなわち
生存本能に従って生きるということです
(o´~`)
それは生命として生まれた以上、当然のことであって
すごいことではないはずで
動物の生き方と変わらないかもしれないのです
(o´~`)
ふみっこは
そういう生き方で満足したくはありません
(o´~`)
自分はどうしてもこれがやりたい
ただ生存のためではなく
自分のやりたいことをやるために
何かを成すために生きる
というような情熱を持っていたいのです
(o´~`)
人生とは情熱がすべてであり
情熱があれば何でもできるはずです
(o´~`)
ふみっこはかつて
「(会社組織で)働きたくない」
「世界を見たい」
「本質的なことを考えたい」
といった情熱があったからこそ
個人投資家になり
世界60ヶ国旅行者になり
空想哲学者(笑)になったのですよ
(o´~`)
しかしそんな情熱が
今のふみっこにはありません
(o´~`)・・・
そのように考えると
人生には2つの生きる意味があります
(o´~`)ホエ?
ひとつは、ただ生きるために生きること
(生命としての生存本能)
(o´~`)
もうひとつは
情熱や夢を携えて
やりたいことのために生きること、です
(o´~`)ノハーイ

人間からウイルスに至るまで、植物も含めて
全ての生命あるものの行動の目的は一点に集約されるのよ
生命を永久に存続させようという盲目的な衝動・・・
ただそれだけ
この世にありたいということ
ありつづけたいということ
ただそれだけ
(藤子・F・不二雄 SF短編「カンビュセスの籤」)

人生の旅の荷物は夢ひとつ
(黒田裕子)

by fumiblog | 2015-02-20 18:00 | 空想哲学 | Comments(64)
新しい世界を求めて
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南フランス エズ (2014/4/30)

新しいものが好きだとか、新鮮な刺激を好むという性質は、個人差が大きいものです
このような性質のことを脳科学では「新奇性探索傾向が高い」という言い方をします
新奇性探索傾向の高い低いは、ドーパミン受容体のタイプ4(DRD4)の遺伝子に原因があると考えられています

ちょっと専門的な話になりますが、このDRD4受容体というのは、タンパク質でできていて、ひもがくしゃくしゃっと丸まったようなものが、神経細胞の細胞膜に埋め込まれたような形で存在しています

このひもは、(中略) 表と裏とに出る回数(ある配列の繰り返し回数)が決まっています

この繰り返しの回数は、人によって違います

それは、鋳型となった遺伝子の塩基配列によって、生まれつき決まってしまうのですが、この繰り返し回数が多い人ほど好奇心が強く、より強い刺激を求めるということが、最近の研究でわかってきました

ようするに、新しいものに対する好奇心が旺盛で、より刺激を求めるタイプの人は、この繰り返し回数が多いというわけです

繰り返し回数の多い人の振る舞いとして特徴的なのは、新しもの好きであること、異性に目移りしがちなこと、飽きっぽいこと、ハイリスク・ハイリターンの勝負を好むこと、などです

こうした性質は、うまくコントロールすれば仕事がとてもできる人として評価を上げるでしょう

しかし、一歩間違うとただのギャンブラーになりかねない、という側面があるのも否めません
自分の特質を知って、じょうずに自分の脳を使いこなしていきたいものですね

ところで、人の遠い祖先である原猿類では、ドーパミン受容体における繰り返し回数は1回程度ですが、より高度な類人猿ほど、ドーパミン受容体の繰り返し回数が増えています

繰り返し回数が多いと好奇心旺盛になることを考えてみると、それまでの生活に飽き足らず、より新しい世界へ、新しい世界へと開拓を続けてきた種の末裔が人類といえるのかもしれません

(中野信子「東大卒の女性脳科学者が、金持ち脳のなり方、全部教えます」)

( ´~`)ノハーイ
まだ見ぬ新しい世界や
新しいものを求める
人類の好奇心が
文明や科学や芸術の発展をもたらしたと考えると
「好奇心」こそが
この世界を創ったのかもしれません
(o゜~゜)oホエ?
もし人類に
「生存(生きること)」と「種の保存(子孫繁栄)」の本能しかなければ
文明が発展する必要は別にありません
(o゜~゜)o
なぜならそれらは
動物もやっていること
動物のままであってもできることだからです
(o゜~゜)o
しかし現代のように
文明や科学や芸術が高度に発展し
平均寿命が飛躍的に伸びても
それで満足することなく
人類はまだ見ぬ新しい世界を求めています
(o゜~゜)o
斬新な作品がその斬新さゆえに流行っても
数年もすれば廃れていって
また新しく斬新な作品が次々に生まれます
(o゜~゜)o
人類は好奇心をエネルギーとして
新しい世界を求め
新しい世界を創り続けているのです
(ノ゜~゜)ノウィーン
しかし個々人における好奇心の有無というのは
脳のドーパミン受容体の構造に起因するもので
生まれつき異なっているというのです
(o゜~゜)oホエ?
そうであれば
その人の人生において
新しい何かを生み出すことができるか
またはフォロワーとして生きるのかは
生まれつき決まっているのかもしれません
(゜~゜)
しかし好奇心の有無に差があること
個々人に多様性があることは
人類にとってとても大切です
(o゜~゜)oホエ?
全員が好奇心が強くなってしまうと
地味な仕事
退屈な仕事をする人はいなくなってしまうでしょう
(o゜~゜)o
一方でみんなが堅実に無難に生きて
リスクを取らなくなってしまうと
リスクを取って未知の世界に飛び出す人
誰もやらないような新しいことを始める人は
いなくなってしまうでしょう
(o゜~゜)o
なので人類に発展と安定をもたらすためには
好奇心がある人もない人も必要なのです
(o゜~゜)o
そう考えるとこの世界というのは
とてもバランスが取れています
(o゜~゜)o
つまり世の中には
堅実に無難に社会を支えてくれる人がたくさんいて
それは決して我慢しているわけではなく
あくまでも本人がやりたいことをやっているだけなのです
(o゜~゜)oホエ?
そういう堅実安全路線な人に
株で生活して自由人になりましょうと資金を渡したとしても
そんなハイリスクなことはやりたくはないのです
(o゜~゜)o
そう考えると
「リスクを取って新しいことにチャレンジしましょう」と言ったり
「地に足をつけて堅実に生きましょう」と言ったところで
各人がどういう生き方をするかは
生まれ持った好奇心の有無の差で
自動的に決まってしまうものなのかもしれません
(゜~゜)
そうであれば
リスクを取るのも取らないのも
それが本人の適性、自分らしい生き方なのであり
どちらが良い・悪いという問題ではありません
(゜~゜)
各人が自分の適性・自分らしい生き方に従って
自由に生きればいいし
実際みんな自由に生きているのだと
ふみっこは思います
(´ロ`)
ところでふみっこが
あえて未訪問の国を選んで海外に行ったり
知らないことを知るために本を読んだりするのは
「新しい世界を求めているから」だとわかりました
(*゜~゜)ノ
そんな好奇心の強さゆえに
リスクを取って勝負に出ても
能力が足りてないので
株で大損しているのですが
(≧~≦)ぶは
現状の世界に飽き足らず
新しい世界を求めること
それは生存本能よりも高次に存在する
人類が追い求め続けた存在理由なのです
(*^~^*)ノハーイ
by fumiblog | 2014-06-15 02:39 | 空想哲学 | Comments(26)
容姿に関する本質的な話
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スウェーデン スカンセン野外博物館 (2011/5/2)

美を生物学的な適応という視点から眺めてみよう
骨子は単純である
美は喜びを誘い、注意を引きつけ、種の保存を確実にするための行動を促すもの、ということだ
美に対する人間の敏感さは本性であり、言い換えれば、自然の選択がつくりあげた脳回路の作用なのだ

私たちがなめらかな肌、ゆたかで艶のある髪、くびれた腰、左右対称の体を好ましく感じるのは、進化の過程の中で、これらの特徴に目をとめ、そうした体の持ち主を配偶者に選ぶほうが子孫を残す確率が高かったからだ
私たちはその子孫である
(ナンシー・エトコフ「なぜ美人ばかりが得をするのか」)

( ´~`)ノハーイ
前回の記事(人生が遺伝で決まるとしたら)で
人の能力や適性って生まれつき決まってるんじゃないか?
というひどい話を書きました
(゜~゜)
今回は前回の内容とも関連するのだけど
もっとひどい話を書きます
(≧~≦)ぶは
でも仕方ないんですよね
(o゜~゜)oホエ?
それがひとつの生物学的事実であり
世界の本質を追い求める空想哲学者(笑)としては
本質的な話に惹かれてしまうのです
((;゜ロ゜)oプルプル
そんなわけで今回の記事は長くなったのだけど
最後まで読んでもらえると
・なぜ美男美女はモテて、不細工はモテないのか?
・なぜ女性は美容に多くの時間やエネルギーを費やすのか?
・なぜ男は若い女性のヌードに興奮し、中高年女性のヌードに萎えるのか?
といったことがわかります
(≧~≦)ぶは
ところで本題だけど
前回書いた生まれつきの能力差と同じように
容姿にも生まれつきの差が明確にあります
(゜~゜)
容姿というのは一目で見てわかるものなので
能力よりもずっとわかりやすく
だからこそ残酷なものでもあります
(゜~゜)
不細工に生まれたとしても
それは生まれつきのものであり
本人が悪いわけではありません
(゜~゜)
それでも人は恋人や結婚相手には
より容姿のいい相手を求めるという事実があって
恋愛市場や結婚市場において
美人やイケメンが売れ残ることはあまりありません
(゜~゜)
一方で容姿に重大な問題があると
それだけで
一生恋愛や結婚とは無縁の生活を送る可能性もあります
(゜~゜)
つまり生まれつきの容姿の差異によって
モテる人は圧倒的にモテ続けて
モテない人は圧倒的にモテないままです
(´ロ`)
その理由は文化的なものではなく
極めて本能的なものであり
人間もまた
遺伝子伝達のための生存機械でしかないという事実を
残酷なまでに表しているのです
(o゜~゜)oホエ?
「なぜ美人ばかりが得をするのか」
という認知科学の研究者が書いた真面目な学術書があって
人間や動物の美醜のメカニズムを科学的に研究し尽くしたような驚愕の本なのだけど
この本のある実験で
人々の顔を写したスライドを数百枚用意して
大人たちにそれぞれの魅力の度合いを評価してもらうというのがあります
(゜~゜)
その後に生後数ヶ月の赤ちゃんに
同じスライドを見せると
大人が高い評価をつけた(美男美女の)顔を
赤ちゃんたちはより長い時間見つめたのです
(o゜~゜)oホエ?
つまり赤ちゃんであっても
複数の顔の中から美しいものを識別する能力を
生まれながらに持っているのです
(゜~゜)
それはつまり
美男美女に惹かれるプログラムが
私たちは生まれながらに備わっているということです
(゜ロ゜)ギョエ!!
なぜなら「美しい異性に惹かれる気持ち」というのは
生存競争において有利だからです
(゜Д゜)ハァ?
それは美しさというのは
優性の遺伝子(Good Gene)を示しているからです
(o゜~゜)oホエ?
孔雀が尾羽根の美しさを競うのはよく知られているけど
そのような見た目の美しさとか
左右対称(シンメトリー)の整った容姿というのは
寄生虫や病原菌に対する免疫力が優れていることを示しているのです
(o゜~゜)oホエ?
寄生虫に冒された孔雀は
栄養素を尾羽根に行き渡らせることができなくて
色鮮やかな羽根を持つことができません
(゜~゜)
なので孔雀の尾羽根の美しさというのは
優れた免疫力を持つこと(健康体であること)を示しているのです
(*゜~゜)ノキラキラ
そのような個体ほど交配相手を獲得しやすく(モテる)
子孫を残しやすいのです
(*゜~゜(゜ x ゜*)
なぜなら健康な異性との間に生まれた子は
親の優れた免疫力を受け継ぎ
その子もまた生存競争や種の保存において有利になるからです
(゜ロ゜)
それは人間も同じで
シンメトリーな顔立ちや体型を持つ人は
免疫力の高さや健康体であることを示しています
(o゜~゜)o
現代は医療が高度に発達しているので
若くして病死する人はほとんどいないけれど
人間の本能プログラムは狩猟採集時代からほとんど進化していないのだそうです
(o゜~゜)oホエ?
そして数百万年に渡る狩猟採集時代では
30歳まで生きれる人は
2~3人に1人しかいませんでした
(過去記事:人間の寿命は30歳だった
(゜~゜)
なので過酷な環境の中をたくましく生き延びて
子孫を残すことができる
高い免疫力や健康な体を持つ個体に
大きな価値があったわけで
それを端的に示すのが
見た目の美しさやシンメトリーな顔立ち・体型なのです
(゜ロ゜)
だからこそ私たちは見た目が美しい美男美女に
本能的に惹かれるようにできているのです
(*´~`)ドキドキ
なぜなら美しい異性とセックス(結婚)することで
優性な遺伝子を受け継ぐ子が生まれて
その子もまた子孫繁栄競争において有利に生きることができるようになり
自分(親)の遺伝子を孫へと受け継いでくれる可能性が高くなるからです
(゜ロ゜)
そういった子孫繁栄的な理由で
私たちは美しい異性に惹かれてしまうのです
Σ(゜~゜)ガビーン
たとえば中学生がクラスメートに恋をするといったような
結婚や出産をまったく目的としない惹かれ方であっても
本能プログラムとしては
あくまでも出産(子孫繁栄)を目的として惹かれているのです
Σ(゜~゜)ガビーン
つまり本能プログラムは遺伝子伝達のことしか考えていないのです
(ノд-。)クスン
容姿の美醜の差は親子関係であっても
残酷な差別をもたらします
(o゜~゜)oホエ?
母親が我が子をかわいがるのは当たり前だけど
それも魅力的な(美形の)子ほど時間を割いて愛情を注いで
魅力的でない子はあまりかわいがらない(時間や手間をかけない)ことが実験でわかったのです
(゜Д゜)ハァ?
アメリカで幼児虐待を受けて施設に保護された子どもたちを調査したら
外見的魅力にとぼしい子が虐待されるケースが圧倒的に多かったのだそうです
Σ(゜~゜)ガビーン
それにも理由があって
動物の世界では健康で生命力にあふれた子の方が
母親から優先的にエサをもらえて
不健康な子はもう諦められて無視されるのだそうです
(´ロ`)アハハ
自然界ではエサという資源は貴重なものなので
親は自分の遺伝子を孫へと受け継いでくれそうな優性な子に
優先的にエサを振り分けるのです
(゜~゜)
そういった本能プログラムが人間にも残っていて
兄弟姉妹でもより魅力的な子の方に
母親は強い愛情を向けるようにできているというのです
(つ~`)ぐすん
つまり美しい容姿を持つ個体は
子孫繁栄競争における強者として
動物界でも人間界でも
優遇されるようにできているのです
( ゜ロ゜)ポカーン
親子関係でも恋人関係でもない
通りすがりの赤の他人であっても
美男美女はそれだけで
敬意を払ってもらえたり
親切にされたり
助けてもらえたり
褒められたりすることが多いのだそうです
(そういう実験例がこの本にいろいろ載っている)
( ゜ロ゜)
美しい人は優遇され
不細工は軽視される
強者に優しく弱者に厳しい
残酷な話だけどそれが自然界の現実なのです
( ゜ロ゜)ポカーン
最後にこの世の中にはなぜ
若い女性のグラビア、ヌード、ポルノが溢れているのか
一方でなぜ中高年女性のヌードは需要がないのか
その理由を書いておきます
(o゜~゜)oホエ?
なめらかな肌、豊かで張りのある胸、くびれのあるウエストが魅力的なのは
それらが妊娠・出産能力(以下生殖能力)の高さを示しているからです
(*゜ロ゜)
そのような若い女性の魅力的なヌードを見た時に
男の本能プログラムが無意識下で思うことは
「この女は魅力的な(健康な)子を産んでくれる!」
(なので性的な興奮が喚起される)
ということです
(≧~≦)ぶは
そして若い女性(10代後半~20代前半)は生殖能力(妊娠可能性)が高いので
男は本能的に若い女を追いかけるようにできているのです
(*゜ロ゜)
女性アイドルがその年齢に集中しているのはそれが理由です
(*゜ロ゜)
つまり男の本能は「女性の身体」そのものではなく
あくまでも「生殖能力の高さ」に興奮するようにプログラムされているので
生殖能力が衰える中高年女性のヌードには興奮しないのです
(´ロ`)
一方で女性が男ほど異性の年齢にこだわらないのは
男は歳を取っても生殖能力がそれほど落ちないからです
(゜~゜)
またモデルのような痩せすぎた女性を男があまり評価しないのは
痩せすぎ体型は健康体のサインを示していないので
性的にあまり興奮しないからです
(痩せすぎ=生殖能力が低い=興奮しない)
(゜~゜)
男が胸の大きな女性を好むのは
それが生殖能力の高さを示すものの代表例だからです
(胸が大きい=エストロゲン・女性ホルモン値が高い=生殖能力が高い=興奮する)
(*゜ロ゜)
そんなわけで若い美女が特別に輝いて見えるのは
そして若い女のグラビアやヌードが世の中に溢れているのは
それが生命の生存理由である
優性の子孫繁栄を強く象徴するものであり
だからこそ男たちはどうしようもなく本能的に惹かれてしまうのです
(*゜~゜)ノキラキラ
一方で30代以降になっても女性が美容で若く美しくを目指すのは
男が若く美しい女性に本能的に惹かれる以上
女は若く美しく見せることによって
優れた異性の獲得や
恋人や配偶者との関係維持に繋がるからです
(*゜~゜)ノキラキラ
なので独身女性が美容・メイク・ファッション・ダイエットに
多くの時間・お金・エネルギーを注ぐのは
それが優れた異性を獲得する(繋ぎ止める)ための
王道の戦略だからです
(*゜~゜)o
一方で美容整形が非難されるのは
見た目に現れる真実(生殖能力の高さ低さ、優性か否かなど)をあざむくものだからです
(゜~゜)
つまり相手の外見から私たちはいろいろな情報を読み取って
相手のことを判断しているのです
(゜~゜)
なので男も容姿がどうであれ身だしなみやファッションに気を遣うことで
「優性(Good Gene)な人」という錯覚を相手に喚起させて
異性から良い印象を持たれる可能性を高められるのです
(それは就職活動などでも同じ)
(*゜~゜)o
もっともそのような泥仕合――子孫繁栄競争が繰り広げられるのも
人間が遺伝子に支配されているからなんですね
(´~`)アァー

私たちが立ちむかうのは、見かけ主義がうわべでは否定されながら、そのじつ身近にあふれている世の中である
人びとは見かけは問題ではないと言いたがる
しかし、市場開発をめざす経営者の誰もが、パッケージやイメージが、製品そのものと同じほど重要なことはわきまえている
私たちは外見をたんなる快・不快の要因としてだけでなく、ひとつの情報源として受けとる
心は表面的なものと中身とを簡単に区別はできず、たいていの人が内心では両者の間になんらかの関係があると考える
(ナンシー・エトコフ「なぜ美人ばかりが得をするのか」)

■参考文献
ナンシー・エトコフ「なぜ美人ばかりが得をするのか」
森川友義「なぜ、その人に惹かれてしまうのか?」
麻生一枝「科学でわかる男と女の心と脳」
by fumiblog | 2013-02-19 19:17 | 空想哲学 | Comments(19)
人生が遺伝で決まるとしたら(遺伝決定論)
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ミャンマー ヤンゴン川 (2013/1/2)

やっぱり一流になる子って、何か違うんですよ
その分野の人間が見たら、パァーッと何か持ってるってわかるんですよ
我々はどの練習生をも一流にしたいんですけど、やっぱり「この子はだいたいここまでだな」という、ある程度の線が僕の頭の中では引けてしまいますね
そう、だいたい十日前後でわかります
一ヶ月、二ヶ月経つと、もう完璧にわかりますね

素質があるのは本当にひとつまみです
それなのに我慢比べのように頑張るでしょう
こっちは見てわかっているからつらいですよね
(ボクシングジムのトレーナー談)

* * * * *
――誰でもこつこつ努力していけばいい、というものではありませんか?

長嶋茂雄「メジャーにならないです。そういうのは並の話ですからね。我々はみんな、人より優れた、何倍も優れた人たちの集団でしょう。プロというのはそういう特殊な集団ですから」

――並の話はしていられませんね

長嶋茂雄「そうなんです。その中でまた頂点を極めていくんですから、最終的には感性だと、僕は思いますね」

(内館牧子「夢を叶える夢を見た」)

( ´~`)ノハーイ
この前の年末年始旅行中に
「遺伝マインド」 「遺伝子の不都合な真実」
という本を読みました
(o゜~゜)oホエ?
人間の能力は「(両親からの)遺伝」と「(生まれ育った)環境」で決まるとされているけど
この本は特に「遺伝」に着目した内容で
いろいろ思うことがありました
(゜~゜)
両親からの遺伝の影響の強さといった問題は
おおっぴらに語ると
生まれつきの不平等を意識せざるを得ないし
優生学に繋がったりするので
一般的にはあまり語られないのだけれど
科学的にはひとつの事実なのです
Σ(゜~゜)ガビーン
特に衝撃的だったのは
「音楽能力」「スポーツ能力」「数学能力」は
遺伝の影響が強く
能力の80~90%は遺伝によって決まるのだそうです
(゜ロ゜)ギョエ!!
なぜそんなことがわかるのかというと
長年に渡る双子の研究から
「遺伝か環境か」の答えが見えてきたのです
(o゜~゜)oホエ?
双子でも一卵性と二卵性があるのだけど
一卵性双生児は
生まれ持った遺伝子配列がまったく同一です
(なので容姿も同じ)
(゜~゜)
それで生まれた直後に
双子の片方が里子に出されるなどして
生き別れてまったく別々の環境で育ったケースというのが
世界中にけっこうあるのです
(o゜~゜)o
そういったケースを追跡調査すると
まったく異なる環境で育ち
両親や双子の片割れに一度も会うことのないまま
20~30年経って大人になった後も
その双子は就いた職業や
知能レベルや性格特性
日々の行動パターンやクセなどが
非常に似通っているケースがたくさんあるのだそうです
(゜ロ゜)ギョエ!!
生き別れて育った双子はそれぞれ異なる環境の影響を受けているわけで
生育環境が能力や性格に影響を及ぼしそうだけど
遺伝か環境かだと前者の影響の方がずっと強かったのです
(゜~゜)
ただ遺伝の影響の度合いというのは
一概に言えるものではなく
当然ながら環境の影響も受けるし
能力や性格の項目ごとによって大きな差異があって
言語能力や社会的態度などは
育った環境の影響の方がずっと強かったりするのだけれど
上に書いた音楽、スポーツ、数学能力などは
遺伝の影響がかなり強いことがわかったのです
(゜~゜)
つまり音楽やスポーツは才能に拠るところがかなり大きいので
才能(遺伝的素養)のない人が努力しても
才能のある人に対して大きなハンディを背負っていて
分の悪い勝負をし続けなければならないことになるのです
(゜~゜)
それが仮に真実だとしたら
プロのアーティストやプロスポーツ選手と
それに憧れるファンの構図ってかなり皮肉なんですよね
(o゜~゜)oホエ?
人気アーティストやプロスポーツ選手が
「私は努力してここまで頑張ってきました。みんなもやればできます!」
みたいなことを言ってファンが真に受けたとしても
結局は生まれつきの才能の有無によって
勝負が決まっているだけかもしれないのです
(´~`)アハハ
ところでふみっこの母親はごく普通の凡人なのだけど
学生の頃は比較的頭が良くて
小学校の時クラスで一番計算問題を解くのが早かったという話を昔聞きました
(o゜~゜)oホエ?
それにも遺伝的な理由があって
母親の両親が二人とも教師だったからです
(´~`)
そしてふみっこもまた
小1の時に限れば
クラスで一番計算が早かったのです
(関連日記:ふみっこの寂しい思い
(゜ロ゜)
なのでひょっとしたら
母親から遺伝した
生まれ持った計算能力の高さ(またはそこから生じる合理性)が
株トレードをする上で有利に働いている可能性があります
(´~`)アハハ
しかし母親はスポーツとか音楽とかはまったくダメで
ふみっこもそれらは子どもの頃から不得意でした
(´ロ`)
そう考えると人間って生まれ落ちた時点で
「適性(自分に向いている職業)」というものがある程度決まっていて
「憧れ」とか「夢」とかよりも
「生まれ持った自分の資質・適性に適した仕事」
を見つけられるかどうかか重要なのかもしれません
(゜~゜)
なのでよく言われる
「自分のやりたい仕事をしましょう」
ってちょっと違うんですよね
(o゜~゜)oホエ?
自分がやりたいことや憧れであっても
まったく適性がないことも十分ありえるわけです
(´~`)
なので自分の能力、性格、得意なこと、苦手なことなどを
自分自身でよく理解して
あくまでも自分に向いていることに取り組むことが
成功への近道なんですね
(o´~`)ノハーイ
そして自分が何者なのかを客観的に知ることができる一例が
エゴグラムなのです
(´~`)ノハーイ

――たとえば小説家になりたい人がいて、血のにじむ努力をすればある程度のところまでいけますか

見城徹「いや、それはありえないでしょうね
だから、自分を知らないヤツはダメです
幻冬舎にもいっぱい来ますよ、持ち込み原稿
送られてくるのもいっぱいあります
で、自分はすごくいい小説を書いたつもりで連綿と訴えてくるわけですよ
自信があってどのこうのって
でもたいていは単なる思いこみで、こんなもの誰が読むかっていうものばっかりなんですよ
結局は、ほとんどの人が自分の能力をわかってない
わかってなきゃダメですよね

でもね、努力しないで成功はないですよ
だけど努力したから成功するかって、それもないですよ
ベーシックな才能は絶対に必要
才能のないヤツがいくら努力してもダメです」
(内館牧子「夢を叶える夢を見た」)

■参考文献、関連書籍
安藤寿康「遺伝マインド」
安藤寿康「遺伝子の不都合な真実」
デイヴィッド・シェンク「天才を考察する 生まれか育ちか論の嘘と本当」
リチャード・E.ニスベット「頭のでき 決めるのは遺伝か、環境か」
by fumiblog | 2013-02-12 19:00 | 空想哲学 | Comments(19)
人が自由を求めない理由
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ミャンマー ヤンゴン インヤー湖 (2013/1/1)

貴方は社会の規則や常識などと云うものに、殆ど縛られないタイプです。
考え方が非常に革新的と云うか、無責任と云うか、とにかく反体制派で有る事だけは間違い有りません。
考え方や行動は、徹底した合理主義者で、どんな事態に直面しても、それらを割り切った考え方で、躊躇する事無く、処理出来るタイプです。
完全なマイペース主義者で、自分の生きたい様に生きる事をモットーに、全てのしがらみを振り切って、自分の人生を少し離れた所から、鳥瞰している様な傾向の強いタイプで有ると云えます。
(エゴグラム診断結果)

( ´~`)ノハーイ
ふみっこの長年の疑問のひとつに
「人はなぜ与えられた役割の中で
不自由な人生を受け入れてしまうのだろう?」
というのがあります
(o゜~゜)oホエ?
自由に対する憧れがあったとしても
実際に自由人を目指す人って圧倒的少数派なんですよね
(゜~゜)
そもそも「これが自由人だ!」という明確なモデルすら
社会にはいない気がします
(゜~゜)
自由に生きることが比較的容易と思われる
抜群に頭のいいエリート層であっても
官僚になったり医者になったりして
社会の中の役割を担うことになるわけで(=社会人になる)
起業や投資で自由人を目指す人なんて
0.1%もいないわけです
(゜~゜)
ところでふみっこは国内でも海外でも
タクシーやバスに乗ると
なんか申し訳ないような気持ちになるんですよね
(o゜~゜)oホエ?
それはこの人たちは毎日毎日延々と
車を運転し続けるわけで
そういう人生って一体何なのだろう?
と考えてしまうのです
(゜~゜)
もちろん本人が好きでやっていることなら
素晴らしいことではあるのですが
(゜~゜)
それと同様に
観光地でお土産屋をやっている人は
毎日毎日延々と
観光客相手にお土産を売り続けるわけです
(゜~゜)
それが何年も何十年も続くのです
(゜~゜)
なんというかふみっこは
そういう変化のない固定的な人生って
耐えられないし恐ろしいんですよね
(゜~゜)
それはつまり
社会や役割のために
自分の人生を犠牲にしたくないということなのですが
(゜~゜)
しかし現実的には多くの人が
変化や刺激の少ない
固定的な仕事に従事しているわけです
(゜~゜)
だからこそ多くの人が
物語(映画・ドラマ・小説など)を日常的に楽しむ理由が見えてきます
(o゜~゜)oホエ?
日常が代わり映えしない退屈なものだからこそ
物語の中に冒険や変化を求めるのです
(*゜~゜)ノ
なのでふみっこの解釈では
物語好きな人ほど退屈な現実を過ごしていることになります
(゜~゜)
とにかくこの社会は
大多数の役割を持つ人たち(社会人)に支えられることで成り立っています
(゜~゜)
そして社会人は
役割を持つからこそ不自由を受け入れて生きていくことになります
(゜~゜)
社会ではそれが当たり前のことなので
ほとんどの人が気にもしていません
(゜~゜)
人はなぜ不自由な役割を甘受して生きるのか――
その起源は農耕社会に見出せます
(o゜~゜)oホエ?
農耕社会というのは自分または共同体共有の畑がなければ
生きていくことができませんでした
(゜~゜)
なので土地に縛り付けられる一生で
移住も不可能だったわけです
(゜~゜)
共同体の中で理不尽なことがあっても
土地を捨てて生きていくことはすなわち死を意味しました
(゜~゜)
なので個人的欲求や自由を求めるのはとんでもないことで
与えられた役割(生まれつきの運命)を受け入れて
集団の中で協調してつつましく生きるしかなかったのです
(゜~゜)
しかし現代日本人は
大人になったら仕事も住むところも比較的自由に選べるわけで
自分の行動力次第で無限の可能性が広がっているわけだけど
上の方で書いたように
自由人を目指す人は圧倒的少数派なのです
(゜~゜)
その理由を根本的な観点から考えると
人は食べていくことができて(生命維持)
子を残し育てることができれば(種の保存)
自由なんてそもそも求めていないからです
(o゜~゜)oホエ?
結婚して子どもができると
夫はますます仕事熱心になって
家族のために尽くすと言われています
(゜~゜)
女性も子どもを産むと
自分よりも子どもの方が大切になるわけです
(゜~゜)
それはつまり結婚や出産によって
「自分の人生を生きること」よりも
「家族や子どもを養うこと」が最優先になって
ますます会社人間、家族人間になって
自己犠牲の人生を邁進するということです
(*゜~゜)ノ
それがいいとか悪いというかいう話ではなくて
それは極めて本能的なことなんですよ
(o゜~゜)oホエ?
みつばちの話で書いたけれど
メスのミツバチは自分が子を産むわけでもないのに
エサを集めるワーカー(労働者)として一生を犠牲にします
(゜~゜)
これは典型的な集団社会のための自己犠牲であり
その自己犠牲と引き換えに得られるのは
女王バチに自分(ワーカー)の遺伝子と75%共有する子を産んでもらうという
遺伝子伝達=種の保存です(血縁選択説という)
(゜~゜)
つまり生命は本能のレベルで
種の保存を引き換えとした
自己犠牲の精神が備わっているのです
(゜ロ゜)ギョエ!!
すべての生命は遺伝子の乗り物に過ぎないので
遺伝子伝達さえできれば
自分の人生を生きることなんてどうでもいいのです
(゜ロ゜)ギョエ!!
つまり人が自由を求めないのは
本能がそもそも自由を求めていないからです
(´~`)アァー
自由を求めること
自分を探し続けることは
本能的欲求にそぐわない
理性的なことだったのです
(´~`)アァー
だからこそ理性が発達した自意識の強い人や哲学好きが往々にして
自分探しをしてしまうのですが
(≧~≦)ぶは

私の闘争は人間であること、人間をとりもどすというたたかいである
自由をかちとるという闘争なのである
人間を機械の部品にしている資本の論理に私はたたかいをいどむ

ああ人間はくだらない、卑小だ
大ていの人間は、人間の人間たるを知らずして
社会の中に埋没してただ生きているのだ
自由! 私は何よりも自由を愛す
(高野悦子「二十歳の原点」)

by fumiblog | 2013-02-05 23:04 | 空想哲学 | Comments(13)
幸福感の正体
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アイスランド ゲイシール間欠泉 (2012/5/1)

生存のためには、食べ物が必要だ
ヒトの歴史の大半を占める狩猟採集時代では飢えは日常で、食べることに貪欲な個体だけが生き残った
彼らの直系の子孫であるぼくたちが、食に強い快感や幸福を感じるのはそのためだ

ヒトは有性生殖だから、繁殖のためには異性との性交が不可欠だ
子孫を後世に残すのに成功したのは、異性を獲得する強い衝動を持ち、子どもを産み育てた個体だけだ
だからぼくたちは、性や愛を激しく求める

ところが科学が進歩し、食糧が安価に生産できる飽食の時代を迎えると、ヒトの幸福は奇妙なねじれを起こすようになった
アメリカの貧困地域では、いまや飢餓ではなく肥満が大きな社会問題になっている
社会的な成功への方途をすべて奪われ、その一方で安価な食糧が無尽蔵に手に入るのなら、もっとも簡単に「幸福」を感じる方法はひたすら食べつづけることだ

こうした傾向は、最終的には、ドラッグやテクノロジーによる快楽へと収斂していくだろう

大脳生理学では、視床の前にある中隔が大脳の快楽中枢で、ここを磁気によって刺激すると「1000回のオーガズムが同時に襲ってくる」ほどの喜悦を感じることがわかっている
サルの頭部に磁気刺激装置を装着し、ボタンを押して中隔を刺激することを教えると、エサも食べずに餓死するまで狂ったようにボタンを押しつづける

橘玲「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」

( ´~`)ノハーイ
「人生の目的とは何か?」
という根本的な問いの回答のひとつに
「幸せになること」
というものがあります
(゜~゜)
しかし何を幸せと感じるかは
人それぞれ異なる主観的なものなので
「自分自身の幸せを見つけましょう」などと言われます
(゜~゜)
そんな人それぞれ違う幸せであっても
その幸せは実はみな同じところからやって来ます
(o゜~゜)oホエ?
幸せはどこからやって来るのか
それはズバリ
脳からです
(゜ロ゜)ギョエ!!
たとえばスカイダイビングは
怖いのは最初だけで
パラシュートが開いた後の落下中は
人生観が変わるほどの恍惚感が得られるらしいのだけど
それも脳の作用で説明できます
(o゜~゜)oホエ?
人は強い恐怖に襲われると
生き延びるために「闘争or逃走」モードになって
脳内でアドレナリンが一気に分泌して
火事場の馬鹿力的な極度の興奮状態になり
それによって
一種のトリップ状態が味わえるそうです(参考記事1)(参考記事2
(*゜ロ゜)クラクラ
スカイダイビングよりは興奮度は劣るとしても
テーマパークの絶叫マシンが楽しいのも同じ原理です(参考記事
(*゜ロ゜)ワォーワォー
ふみっこは海外旅行中は
高揚感が続いてハイになるのだけど
それも非日常世界の強い刺激を受けることで
脳内でドーパミンか何かが分泌しているのでしょう
(*゜ロ゜)わくわくドキドキ
なのでふみっこがアホみたいに海外一人旅を繰り返すのは
脳内快感物質による高揚感を求めているだけで
実はドラッグ中毒者と大差ないのかもしれません
(*゜ロ゜)クラクラ
そんなわけでスカイダイビングや海外旅行の魅力に取りつかれて
何度も繰り返す人も
手っ取り早く幸福感を得るために
スイーツ依存症になる人も(参考記事
現実の嫌なことを忘れたくて
アルコール依存症になる人も(参考記事
ギャンブルの刺激に取りつかれて
ギャンブル依存症になる人も(参考記事
セックスやオナニーの快感に取りつかれて
性依存症になる人も
恋愛中のドーパミン分泌を求めて
恋愛依存症になる人も(参考記事
自己開示によって得られるドーパミンを求めて
ネット依存症になる人も(参考記事
そして究極的にはクスリで脳を直接刺激する
ドラッグ依存症になる人も
みんな「幸福を求めたから」なんですね
(゜~゜)
脳内快感物質の奴隷のようで
ある意味滑稽でもあるのだけど
人間の幸福とは
しょせんそんなものなのです
(´ロ`)
そして一番上の引用にあるように
美味しいものをお腹いっぱい食べたら
幸福感や満足感を感じるのは
「生命維持のため」であり
セックスが気持ちいいのは
「種の保存のため」です
(゜~゜)
そう考えると人間の幸福感というのは
「生き延びること」
「種を保存すること」
に最適化されていると言えます
(o゜~゜)oホエ?
人はみな幸福を求めるけれど
それは結局は
遺伝子プログラムに操られているに過ぎないという
憐れな生存機械なのです
(ノд-。)クスン
ところで恋の初期段階に
強い恍惚感や陶酔感が得られるのは
「あばたもえくぼ」と言われるように
ドーパミンの分泌で説明できるわかりやすい恋の病だけれど
そんな恋からは冷めた「夫婦間の穏やかな愛情」のような
「幸せの象徴」のような光景もやはり
脳内では快感物資が分泌しているそうです
(゜ロ゜)ギョエ!!

恋人たちが夜どおし起きておしゃべりしたり、
愛撫したりしているのも不思議ではないし、
心ここにあらずでぼうっとしていたり、
やたらに明るくなったり、
ひとあたりがよくなったり、
元気いっぱいになるのも不思議ではない
自然に発生したアンフェタミンが脳の情動の中心にたまり、
自然の「覚醒剤」でハイになっているのだから

恋の情熱の終わりもまた脳の生理学的な作用に基づくのではないかと考えている
彼は、脳はロマンティックな陶酔状態を際限なく維持することができないのだと主張する
神経終末が天然の刺激物質に慣れてしまうか、あるいはPEA(興奮性伝達物質)のレベルが低下するのだろう

恋の情熱がうすれると愛着が生まれ、新しい化学作用にとってかわられると考えている
精神の麻酔作用だ
この作用を起こすエンドルフィンは、化学的には麻薬のモルフィネと同じような物質だ
これは心を落ち着かせ、苦痛をやわらげ、不安をしずめる働きがある


愛着の段階に入ったパートナーはそれぞれエンドルフィンの生産をうながし、互いに安全、安定、静穏といった気分を与えあうと考えている
平和な気持ちで語らい、食べ、眠ることができるようになる

ヘレン・E・フィッシャー「愛はなぜ終わるのか」

そんなこんなで幸福感の正体とは
脳内で分泌する快感物質でしかないのだけれど
それでも幸福を求めることは
別に悪いことではありません(違法でない限り)
(o゜~゜)oホエ?
人間が幸福を追い求め続けたからこそ
食糧の豊かな農耕文明や
物質的な豊かさや
自由や人権といったものを手に入れて
そしてそれぞれの親がそれぞれの人生で幸福を求めたからこそ
私たちが生まれたのです
(o゜Д゜(゜~゜o)ばぶー
遺伝子レベルでプログラムされている以上
どのような方法や形であれ
幸せになること(=脳内快感物質を分泌させること)によって
人は満たされることができる
なので幸せを求めることは
永遠に変わることのない人生の目的、生きる意味なんですね
(o´~`)ノふわーい


↓参考資料:小野瀬健人「そこが知りたい!脳と心の仕組み」より
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by fumiblog | 2012-08-21 17:31 | 空想哲学 | Comments(18)
想像が創った世界
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群馬 高崎 白衣大観音 (2012/8/4)

私たちは、進化のうえで「想像力」を身につけ、いまここにある現実以外を、想像上「体験」できるようになりました
想像力は、人間関係における協力の促進に大きく貢献することとなったのです

想像が可能になることで、「将来ちゃんとお返ししますよ」という状況が想像できるようになり、狩猟採集時代のうちに、互恵的な協力行動がいっそう促進されたのでしょう

大集団での文明が形成されるようになってからは、共同体の達成目標を共有化するのに、想像力が大きな役割を果たしたと思われます

ところが、人間の世界観に架空のできごとが入りこむ余地ができてしまい、現実と空想が混同されやすくなりました
よくもわるくも、想像力が幻想の世界に人類をいざなったのです

言語が現実を言い表し、つづいて言語が想像をかきたてるようになり、よって、言語が「だまし」の手段ともなったのです

「だまし」というと否定的に聞こえますが、そうした「社会的なだまし」に従う人々が多くいる集団は、力がつよいのです
なぜなら、集団での協力活動が円滑にすすむからです
結果として、人類はこれまで「だまされ上手がみんなで生き残る」という歴史をきざんできた、と言えましょう

石川幹人「だまされ上手が生き残る 入門進化心理学」

( ´~`)ノハーイ
今回は想像力の話です
(o゜~゜)oホエ?
想像力とは言語によってもたらされました
(o゜~゜)o
人間は言葉を操るようになったことで
「いまここにある現実の世界」とは違った状況や世界を
無限に想像したり語ることが可能になりました
(o゜ロ゜)oペラペラ
それによって
ただの「嘘」や「理想」や「幻想」に過ぎないものを
他者や社会集団や自分自身が
信じてしまう状況が生まれたのです
(゜ロ゜)ギョエ!!
原始の社会において
そのような想像力は
協力行動をする際に必要だったのだそうです
(o゜~゜)oホエ?
「みんなで協力してエサを手に入れよう」
といった状況も
想像力がなければそのような仮定(近い将来にエサが手に入る)
を想像することができず
協力行動もできなかったのです
(゜~゜)
社会のルール(法)に反すると罰せられる
といったことも
「罪を犯したら牢屋にぶち込まれる」と想像できるからこそ
それが抑止力となります
(゜~゜)
受験生が遊ぶのを我慢して勉強するのも
近い将来に得られる成果(合格・学歴)や
勉強しなかった場合の将来の自分の姿(社会で苦労する)を
想像することができるからです
(゜~゜)
つまり想像力が失われてしまうと
将来の損得を考えられずに
本能的に目の前の現実を追いかけるだけになってしまうんですね
(゜皿゜)ウキャー
しかし一方では
人間の無限の想像力が
社会全体を集団幻想に陥らせるということもありえます
(o゜~゜)oホエ?
その代表格が宗教であり
現実とは異なる想像上の物語(経典)によって
日々の行動や人生が規定されてしまうのです
(´~`)なむなむ
ヒトラーや毛沢東のようなカリスマが描いた理想世界
(第三帝国やユダヤ人撲滅や文化大革命)が
国民を集団幻想に陥らせて
大規模な戦争や虐殺が起きたという
想像力が引き起こしてしまった悪夢もあります
(゜~゜)
昨年の3・11後の
「日本は素晴らしい国」や「がんばろう日本!」的な公共CMも
ひとつの「社会的なだまし」だと言えます
(゜~゜)
それは前向きな方向へと国民を扇動する良いだましの例なのだけど
このような単純な国威発揚にだまされる人が多い方が
社会は一致団結して上手くいくとも言えます
(゜~゜)
つまり想像力というのは
良い方向にも悪い方向にも作用します
(゜~゜)
そして想像力は
社会のみならず
私たち自身の人生も形作っていきます
(o゜~゜)oホエ?
自分の将来の姿やビジョンを想像せずに
すぐ目の前の楽しみを追いかけて
享楽的・刹那的に生きてしまうと
今が楽しかったとしても
自分の能力や経歴を向上させることは難しくなります
(´ロ`)
なのでよく言われることだけど
自分が目指す将来像や目標を明確にして
そこに向かって地道に努力していくことが大切なんですね
(´~`)ノハーイ
一方では
現実が上手くいってなかったり不満が多かったりして
物語やゲームや理想のアイドルといった仮想世界
すなわち「もうひとつの世界」に現実逃避してしまうといったこともよくあります
(゜~゜)
それは人間の無限の想像力が
より居心地のいい別の現実を求めたからです
(o゜~゜)o
しかしその仮想世界の居心地が良くても
自分を取り巻く現実世界の状況は変わりません
(´ロ`)
なので「自分の現実を良くする」というビジョン(想像力)を持って
あくまでも現実のために努力をしたり時間を使うことが大切なんですね
(´~`)ノハーイ
しかし人間が想像する想像世界をひっくるめた
この現実の世界もまた
人間の解釈を通さなければ認識できません
(o゜~゜)oホエ?
同一の現象に対して楽観論者もいれば悲観論者もいるように
世界も人生も多様に解釈できる以上
世界も個々人の人生も
すべては想像の産物に過ぎないないのです
(゜~゜)
想像次第、考え方次第で何にでもなる――
だからこの現実もまた、ひとつの幻想、夢まぼろしに過ぎないんですね
(゜Д゜)ハァ?

あれはみんな幻だよ
ありもしない幻だよ
だって、人生そのものが単なる幻じゃないかね
夢だよ、ただの

ただ一片の夢――
つまり、君の夢、君の想像がつくり出してるものにしかすぎないんだよ
(マーク・トウェイン「不思議な少年」)

by fumiblog | 2012-08-08 23:27 | 空想哲学 | Comments(2)
人間の寿命は30歳だった
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インドネシア バリ島 スミニャックビーチ (2010/12/25)

狩猟採集時代、日本人の寿命は30歳未満でした
これが平均寿命となると15歳程度だろうと人類学者は指摘しています
厳しい環境の中で食料不足が生じていたこと、また医学の未発達のために特に幼児死亡率が非常に高かったために、平均寿命がこれほどまでに短かったのです
15歳以上生き延びた縄文人でも、その多くが30歳そこそこで亡くなっています

人生30年と計算し、14歳で夫婦関係になったと仮定すると、15歳で初産、母乳で育てていたために、だいたい3年に一度の出産が限度ということになり、合計で4人から6人の子供を産んでいたことでしょう
縄文時代は人口がほぼ一定だったので、生き残った子供は2人くらいと見てよいかもしれません
その後、30歳前後で夫婦ともに死んでしまう、それが我々の祖先の平均的人生だったのです

(森川友義「なぜ日本にはいい男がいないのか」)

( ´~`)ノハーイ
上で引用したけれど
私たちの祖先である
狩猟採集時代の日本人の寿命が
30歳未満だったというのは驚きです
(゜ロ゜)ギョエ!!
しかし人間を含むすべて生命の
根源的な存在理由は
遺伝子伝達・種の保存にしかなく
個体が長生きする目的では作られていません
(o゜~゜)oホエ?
個体が長寿だと
進化や環境適応のスピードが遅くなり
突然の環境変化などに対応しにくくなって
種として淘汰されやすくなってしまいます
(゜~゜)
だからこそ個体を無駄に長生きさせないために
老化や死というものが存在するといえます
(o゜~゜)o
それは遺伝子伝達という至上命題のために
否応なくプログラムされている
生命の設計図なのです
(ノд-。)クスン
なので10代のうちに結婚・出産をして
30歳頃に一生を終えてしまうというのは
子孫繁栄のサイクルとしては無駄がなく
むしろ適しているのかもしれません
(´~`o)ぽっくり
しかしその後
農耕文明の訪れによる食料不足の解決や
医学の発達により
人口も平均寿命も爆発的に伸びました
(ノ゜~゜)ノウィーン
現代の日本では10代の結婚・出産は早過ぎて
30歳前後での結婚・出産が普通になりつつあります(晩婚化)
(゜~゜)
平均寿命も80歳前後なので
まとまった貯蓄や年金など
長い老後の生活費のことも心配しなければなりません
((;゜ロ゜)オロオロ
なので生命としての輝きを失う老後の生活のために
もっとも輝く若い時間を犠牲にして
仕事や貯蓄に励むという
本末転倒なことが起きるのです
(´~`)アァー
特に海外旅行なんかは
老いてから行ってもどうしようもないでしょう
(o゜~゜)oホエ?
若い頃に行くことで
視野や価値観が広がって
その後の人生の可能性が広がるのです
(*゜ロ゜)o
これは極論だけど
60~65歳ぐらいで定年を迎えて働けなくなったら(収入がなくなったら)
その時点で人生を終える(死ぬ)
ということを受け入れられれば
老後のための貯蓄をしなくていいし
年金システムも不要になるので
現役世代の生活にかなりゆとりが生まれるはずなんですよね
(o゜ロ゜)o
現代人は
「寿命30年の種の保存のサイクル」
という本来の一生の形が
異常に延長されたことによって(平均寿命80年)
多くの時間・自由・可能性を手にしました
(*゜ロ゜)o
しかし一方では
長生きすることによって生じる
老後資金や年金や介護のような
負の問題も発生してしまいます
(゜~゜)
晩婚化の進行によって
出生率も下がります
(゜~゜)
つまり現代人が手に入れた長寿が
本当に幸せをもたらしたのかはわかりません
(゜~゜)
少なくとも言えるのは
人間の本来の寿命30年サイクルと
現代人の長寿80年サイクルには大きな乖離があり
その個体としての膨大な自由時間を何に使うか?
ということが問題になるのだけど
その自由時間(=人生)を楽しめなければ
長生きしても虚しい人生になりかねないということです
(゜~゜)
たとえば朝から晩まで働き通しで
一生を労働に費やしてしまうようなケースや
孤独な独身のまま中高年になってしまうケースです
(o´ロ`)
なので重要なのは
人間の寿命は30歳と考えて
それ以降の人生には期待しないことです
(゜Д゜)ハァ?
人生で一番楽しい時は
10代20代に決まっているので
老後なんかに期待せずに
30歳ぐらいで死んでも後悔しないように
やりたくないことはやらずに
好きなことをして
太く短く生きるべきでしょう
(*゜ロ゜)ノいぇーい
そうして自分主体で自由に生きた結果できたのが
職歴なし無職の虚無主義者ふみっこです
(≧~≦)ぶは

「明日の食糧のため」「種の保存のため」
に生きることが健全な生き方です
それをしなくてよくなってしまうとおかしくなるのが当たり前です
そもそも人生なんて無意味なのに決まっているのですから
(中島義道「生きてるだけでなぜ悪い?」)

by fumiblog | 2012-07-29 23:50 | 空想哲学 | Comments(0)
人生とは一体何だったのか?
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フィンランド バルト海 (2011/4/30)

明日、また明日、また明日と
時は小きざみな足どりで一日一日を歩み
ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく

人生は歩き回る影法師、あわれな役者だ
舞台の上でおおげさに見栄を切っても、出場が終われば消えてしまう
白痴のしゃべる物語だ
わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味は何ひとつありはしない
(シェイクスピア「マクベス」)

( ´~`)ノハーイ
ふみっこは時々
意味もなく虚無感に襲われることがあります
(o゜~゜)oホエ?
それはなんというか
どうしようもなく
人生に意味のなさを感じてしまうのです
(゜~゜)
普段楽しんだり夢中になったり
一喜一憂したりすることに対しても
なんだか表面的なことに感じられて
虚しく感じてしまう時があるんですね
(゜~゜)
このブログでよく書いている
成功や向上を目指すといったことも
どうでもいいことのように感じる時があります
(゜~゜)
そういう時は視点が俯瞰的になって
「人生とは一体何なのだろう?」
などと思いを巡らせたりします
(゜~゜)
そうして人生を俯瞰的に考えると
奇妙なのは
人生は必ず終わることが決まっていることです
(゜~゜)
人はみんないずれ死ぬのだけれど
しかし自分が「いつ」死ぬのかはわかりません
(o゜~゜)oホエ?
日本は交通事故における死者数が年間約5000人もいて
ただ道を歩いているだけでも不注意運転の車に轢かれて
突然死んでしまうことがありえます
(ノд-。)クスン
それは宝くじの一等に当たるよりも450倍高確率だそうです
(゜ロ゜)ギョエ!!
ふみっこがもし事故に遭ったりして
死の淵に追い詰められたとしたら
そのときは
「自分の人生とは一体何だったのだろう?」
「人生とはどういうことだったのだろう?」
なんていう総括を考えてみたくなります
(゜~゜)
しかし自分の人生を振り返っても
「自分はXXのために生きたから満足」だとか
「XXが楽しかった」とか
「XXをしておけばよかった」
といった具体的な思いが沸かないんですよね
(o゜~゜)oホエ?
ふみっこがなんとなく思うのは
人生とは
その人の考えや思い込み次第で
どのようにも解釈可能なものであり
だからこそ
思い込みの産物に過ぎないものであり
だからこそ
人生とはひとときの幻想、夢まぼろしであり
だからこそ
特に意味のないものである
ということなのです
(゜~゜)
もちろんふみっこにも
楽しかったり一喜一憂したりしたことが
たくさんあるのだけれど
そういうのも俯瞰的に振り返ると
ただの一喜一憂に過ぎなかった気がして
妙に虚しくなってきます
(゜~゜)
つまりこの世に存在する様々な「意味感」が
すべて希薄なものに感じられてくるのです
(゜~゜)
なぜならこの世のさまざまな意味や価値は
確固とした根拠がなく
ただの「意味付け」や「思い込み」に過ぎないからです
(゜~゜)
人生とは何か?の解釈もまた
思い込みでしか語ることができません
(゜~゜)
思い込みを排除すると
そこにはもはや何の意味付けもなく
ただ虚無の世界が広がっています
(゜~゜)
つまり人生における意味や価値は
思い込むことから生じるのだけれど
一方で虚無主義者は
「思い込むことができない人」
「思い込みたくない人」
なのだと言えるでしょう
(゜~゜)
そうして人生の喧騒から離れて
無意味感に満たされる時は
いろいろな意味から開放されたことによる
空虚さゆえの居心地の良さもあったりします
(´ロ`o)ポカーン
そんなふみっこも
常に俯瞰モードで生きることはできず
普段の生活では
仕事・勉強・旅行といったものに価値を置いて生きているのですが
(o´~`)ノハーイ
つまりあることに意味や価値を感じて
いけー(*゜ロ゜)ノとなって生きている有意味モードと
すべてが虚しくなって
(´ロ`o)ポカーンとなっている無意味・俯瞰モードを
いったりきたりしながら生きている感じでしょうか
(゜~゜)
ところで明日からまた旅行に行くので
旅行について何か書こうと思ったのだけど
考えているうちになぜか虚しくなってきたので
まったく別の話になりました
次回は旅行記を書きます
(´~`)ノハーイ

ありとあらゆる価値でもって、われわれはこれまで世界を、何よりもわれわれ自身のために貴重なものたらしめようと努めてきた
しかしそれらの価値が実は適用できないものであることが証明されたとき、ついにわれわれは、ほかならぬそのことによって、世界を無価値なものにしてしまったのである
(ニーチェ「力への意志」)

by fumiblog | 2012-04-21 00:34 | 空想哲学 | Comments(4)
現実の世界
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ノルウェー オスロ ヴィーゲラン公園 (2011/5/4)

正気の人間で幸福だなんてことはありえないんだよ
つまり、正気の人間にとっちゃ、当然、人生は現実なんだ
現実である以上、どんなに恐ろしいものであるかはいやでもわかる
狂人だけが幸福になれる
(マーク・トウェイン「不思議な少年」)

( ´~`)ノハーイ
暇な人は
「暗い作品」という単語でネット検索してみてください
(o゜~゜)oホエ?
すると「暗い作品研究所」が一番上に表示されます
(たしか1年以上前からです)
(*゜ロ゜)ギョエ!!
これはGoogle先生によって
「暗い作品といえばふみっこさんですよね」
と認められたことを意味しています(たぶん)
(≧~≦)ぶは
一方でふみっこはこのブログで
向上心を持って前向きに人生を生きるための
成功哲学の話をたくさん書いています
(o゜~゜)oホエ?
暗い人間がなぜ前向きに生きるのか?
それは矛盾しているのではないか?
そのような疑問を持った方がいるかもしれません
(o゜~゜)oホエ?
しかし「暗い」と「成功」という
相反するような要素でも
両方に惹かれる気持ちが
ふみっこには確かにあるのです
(o゜ロ゜)o
その2つの要素に共通するものは
何だかわかりますか?
(o゜~゜)oホエ?
それが
「現実に向き合う」
(現実逃避をしない)
です
(゜Д゜)ハァ?
明るく楽しい作品
すべて丸く収まるハッピーエンドの作品を見て
ふみっこがどうしても納得できないのは
現実はそのような
明るく楽しくハッピーなものではないということです
(゜~゜)
学生の人はまだよくわからないかもしれませんが
社会というのは非常に厳しいです
(つ~`)ぐすん
この社会において
自己実現しながら輝いている人は
テレビや雑誌の中にはたくさんいても
現実世界ではごく一部しかいません
(゜~゜)
毎日会社に行くのが楽しい
なんて人も少数派でしょう
(゜~゜)
おそらく半数ぐらいの人は
特にやりたいわけでもない仕事をしながら
上司に怒られながら
毎日の長時間労働で疲労しながら
それでも仕事を辞めたら路頭に迷うので
我慢して理不尽さに耐えながら
自分を押し殺して生きているわけです
(o´ロ`)うぅー
そのような人たちにとって
現実とは楽しいものではありません
(o´ロ`)
だからこそ
現実逃避が必要とされるのです
(ノ´ロ`)ノ
酒・タバコ・パチンコ・競馬
などの現実逃避に溺れたり中毒になって
さらに現実を悪化させてしまうのは
はっきり言って
現実世界であまり報われていない
社会の底辺の人たちが多いです
(つ~`)
庶民の娯楽であるTV番組に
「明るく・楽しく・豪華で・理想的」なものが多いのは
視聴者が世知辛い現実からの逃避を求めているからです
(つ~`)
映画やドラマのような
架空の物語を楽しむのもまた
ただの現実逃避です
(つ~`)
ライブハウスで歌って踊って騒いだら
何か現実が変わるのでしょうか?
ああいったものも
日頃の鬱憤を晴らす現実逃避です
(つ~`)
ネットゲームや携帯ゲームの世界で活躍しても
現実は何も変わらないけれど
それでも一定数の人がハマるのは
現実世界では報われないので
別の世界に居場所を求めたからです
(つ~`)
つまりエンターテイメント産業は
「現実逃避したい」人たちに支えられて成り立っているといえます
(´~`)アハハ
現実世界で苦渋を味わっている人ほど
現実逃避的な楽しみがないとやってられないのです
(つ~`)
しかしそれらがすごく楽しかったとしても
それは現実逃避に過ぎません
(゜~゜)
余暇の時間や休日が終わったら
またうんざりとする現実が待っています
(o´ロ`)
だからこそ現実逃避に逃げ込んで
現実逃避こそが生きる楽しみになる
という悪循環です
(o´ロ`)
もっとも現実逃避がメインになり
現実はサブでしかなくなる
という生き方もあるのかもしれませんが
(o´ロ`)
しかしそうならないために重要なのは
「明るく楽しくハッピーなものは仮想世界の偽物」であって
「現実とは辛く厳しい暗黒世界である」
という事実を受け入れることなのです
(≧~≦)ぶは
そんな辛く厳しい暗黒世界で
前向きに生きていくためには
どうすればいいのでしょう?
(o゜~゜)oホエ?
それは単純で
自分自身が強くなることです
(゜~゜)ノぁぃ
弱い者を踏みつけにして強い者が栄える
弱肉強食の世界が
この世界の現実です
(´ロ`)
なので弱者は常に不利益を被ったり
社会の底辺へと突き落とされたり
やりたくない低所得の仕事が待っているのです
(つ~`)
そんな現実世界において
這い上がって生きていくためには
自分自身が強くなったり
能力を身につけるしかありません
(゜~゜)ノぁぃ
そのために重要なのはやはり
「現実逃避をしない」ことです
(o゜~゜)oホエ?
このブログでよく書いている
「テレビを見ない」とか「ゲームをしない」とかいったことは
それらが時間食いの現実逃避の代表格だからです
(´ロ`)
しかしそこで一歩踏み止まって
現実逃避に使う時間を
現実改善へと有効利用することで
現実に向き合って前向きに生きることができるようになります
(o゜ロ゜)o
そんなわけで
現実に対する「暗い」認識と
そこから這い上がるための「成功」哲学
現実が生きづらい暗黒世界であるがゆえに
それらがふみっこのテーマになりました
(´~`)ノハーイ

深淵に臨まないで、人間はどこに立つというのだ!
見るということ自体が、深淵を見るということではないのか?
生きることの真実を深く見れば見るほど、人間はそれだけ深く苦悩と向き合うことになるからだ
(ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」)

by fumiblog | 2012-02-20 00:08 | 空想哲学 | Comments(10)