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[空想哲学] ふみっこの死
人は死ぬ
みんな死にます
愛する人や
部族が与えてくれたものや
それまで味わった思い出を味わいながら
(映画「イングリッシュ・ペイシェント」)

( ´~`)ノハーイ
これから数回に渡って
ふみっこの長年のテーマである
「哲学」「虚無主義」「成功哲学」「読書」「相場」「海外一人旅」
などについて
改めて考えてみたいと思います
(o゜~゜)oホエ?
第一回目は哲学です
(゜~゜)
ふみっこはなぜ哲学に惹かれたのか
それは簡単に言えば
「ふみっこはいつか死んでしまうから」
です
(o゜~゜)oホエ?
ふみっこは来世や転生などを信じてないので
死というのは
永遠に消えてなくなること
すなわち無に帰するという解釈です
(゜~゜)
それはとても恐ろしいことであると同時に
不思議なことでもあります
(゜~゜)
いずれ死んでしまうのに
なぜ生が存在するのか
(゜~゜)
生とは一体どのような意味があるのか
(゜~゜)
その問いに対して
生物学は明確な答えを出しています
(o゜~゜)oホエ?
それは人間を含むすべての生命は
遺伝子の乗り物に過ぎないので
遺伝子伝達以外に
個体そのものに意味はない
というのです
Σ(゜~゜)ガビーン
私たちは生命の構造上
生まれた時から遺伝子に支配された存在で
「一個体としてのふみっこ」の生き方や思想がどのようであろうと
そんなのはどうでもいいことなのです
(´ロ`)
たとえば私たちも
「一個体としてのハエ」に
何の意味も価値も感じないでしょう
(゜~゜)
同じ生命である以上
人間も根本的には同じなのです
(゜~゜)
しかし人間は本能だけではなく
理性や自意識を持っています
(o゜~゜)oホエ?
それが悲劇の始まりでした
(゜~゜)
ふみっこの理性は
いつか自分は死んで消えてなくなるという不思議さと
そうでありながらいま生きているという不思議さを
感じてしまうからです
(゜~゜)
それはどうしようもない葛藤であり
どうしようもない神秘です
(゜~゜)
そのような理性から生じる問題意識によって
成り立っているのが
哲学だといえます
(o゜~゜)oホエ?
そして哲学の問いには
明確な答えがありません
(o゜~゜)oホエ?
哲学とは突き詰めれば
問いがあればそれでいいのです
(゜~゜)
それはたとえば
いずれ死んでしまうのに
なぜ生が存在するのか
(゜~゜)
生とは一体どのような意味があるのか
といった問いです
(゜~゜)
その問いとは
「個体としてのあなたに意味はありません」
と告げる遺伝子に抗う
人間固有の理性の叫びなのです
(o´~`)ノハーイ
by fumiblog | 2010-06-29 20:28 | 空想哲学 | Comments(0)
ふみっこ探しの果てに見たもの
われわれは、何事も自分とのかかわりによってしか愛せないのだ
自分自身よりも友達の方が好きというときですら、結局は、
自分の好み、自分の喜びを追って友を愛しているにすぎない
(ラ・ロシュフコー「箴言集」)

( ´~`)ノハーイ
このブログの「前置き」というべき部分が
あまりにも長くなりました
(゜ロ゜;Aアセアセ
しかし長きに渡るふみっこ探しを経て
「思い」(向上心)
「目的」(承認と自己実現)
「ブログテーマ」(ふみっこブログ)
を見出すことができたのです
(*^~^*)ノハーイ
そんなふみっこ探しの過程で
ある重大なことに気づきました
(o゜~゜)oホエ?
それはふみっこは
一歩引いた視点から
物事を考えることが
好きだということに気づいたのです
(゜~゜)
たとえばこの1ヶ月間のブログ記事は
通常のブログ記事とは異なり
「ふみっこがブログを書くとはどういうことか」
という一歩引いた視点からの異質なものでした
(o゜~゜)))サッ
そんなこの1ヶ月間の記事は
「前置き」のようでいて
前置きではない
(o゜~゜)oホエ?
一歩引いた視点、ふかん的な視点から物事について考えること
それこそがふみっこ哲学の真髄だったのです
(゜ロ゜)ギョエ!!
ではそれを試しに
現在の時事問題に当てはめてみたいと思います
(o゜~゜)oホエ?
今ちょうど南アフリカでサッカーワールドカップをやっていて
そこで日本代表が予想外の活躍を見せて
何勝かしたので
嬉しいとか
元気をもらったとか
誰々の活躍が素晴らしいとか
日本もやればできるじゃないかとか
そういったブログが多いはずです
(o゜~゜)o
ふみっこはそんな時
なぜ日本代表が勝ったら多くの日本人は嬉しいのだろう
を考えたくなるのです
(o゜~゜)oホエ?
サッカー日本代表とは
文字通りサッカーの能力で
日本を代表するトッププロの人たちです
(゜~゜)
しかし日本国民の99%は
彼らとは「友人や知り合い」ではないでしょう
(´~`)アハハ
共通点は単に
「同じ日本人である」
というだけなのです
(゜~゜)
日本人など一億人もいるというのに
ただ同じ日本人というだけで
日本代表の活躍や
メジャーリーガーの活躍や
オリンピック選手の活躍に
赤の他人が一喜一憂するのは
奇妙なことではないでしょうか?
(o゜~゜)oホエ?
ところで私たちは常に
何らかの属性を持っています
(゜~゜)
職業の属性を考えたとき
会社員であれば会社員
公務員であれば公務員
無職であれば無職です
(゜~゜)
一方で都道府県別になると
東京に住んでいるだけで東京人になり
沖縄に住んでいたら沖縄人です
(゜~゜)
そこでは職業や年齢などは関係ありません
(゜~゜)
視野をもっと広げて
世界視点から国籍別に分けると
日本人はみな日本人となります
(o゜~゜)oホエ?
そうして日本人の多くがひとつにまとまって
日本を代表する人たちの勝敗に一喜一憂する
それは数十年前の日本人が経験した
ある光景に似ているのではないでしょうか?
(o゜~゜)oホエ?
それは太平洋戦争です
Σ(゜~゜)ガビーン
太平洋戦争の時
日本人はそれまでの日本の歴史の中で
おそらくもっとも一致団結したはずなのです
(o゜~゜)oホエ?
たとえば戦国時代の頃は
日本国内が分裂して覇権を争って合戦(殺し合い)をしていたのに
敵が国内ではなく海外になると
国民がひとつの意志にまとまったのです
(ノ゜~゜)ノ
なぜかというと
人は皆
遺伝子レベルで利己的であるからです
(o゜~゜)oホエ?
第一には自分が大事であり
その次に自分の家族が大事であり
その次に自分の友人や知り合いが大事であり
その次に自分が住んでいる地域社会が大事であり
その次に自分が住んでいる国が大事なのです
(゜~゜)
それをもっと広げると
自分が住んでいる地球が大事であり
自分が住んでいる銀河系が大事であり
自分が住んでいる宇宙が大事になります
(´~`)アハハ
ワールドカップのような
世界視点からの各国代表の戦いになると
利己主義の論理が
「自分」という狭い範囲から
「自分が所属している国」という範囲に広がって
国の勝敗が自分の利害と直結するような錯覚を持つのです
(゜~゜)
なので宇宙人との戦いになれば
「自分が所属している地球」が大事になるので
地球人は人種や民族の壁を越えて
容易に一致団結するはずです
(´~`)アハハ
しかしサッカーワールドカップは
ただ球技をしているだけであって
戦争をしているわけではありません
(o゜~゜)oホエ?
3戦全敗でボロ負けしようが
奇跡の優勝をしようが
99%の人は
金銭的物質的に何らかの利害が生じるわけではない
(゜~゜)
そんなわけで
「なぜ日本代表が勝ったら多くの日本人は嬉しいのか」
を考えると
「ただの錯覚」
に過ぎないので
「他人の活躍に期待するよりも
自分の活躍に期待して努力をする生き方の方が合理的」
となります
(´~`)ノハーイ
by fumiblog | 2010-06-27 16:00 | ふみっこ哲学 | Comments(7)
ふみっこの経験とテーマ
人間は満ち足りてくると余計なことを考えるようになるのです
考え続けることは生物体としてはおかしいのです
人間以外の動物はそんなことをしません
意味を求め続けること、私を探し続けることは
本来、おかしなことなのですが
そこにはまってしまう人もいるのです
(中島義道「生きてるだけでなぜ悪い?」)

( ´~`)ノハーイ
このブログを人気ブログにするためには
ふみっこは特定の分野でプロフェッショナルにならなければならない
そんな過酷な現実を突きつけられたのが前回でした
(つ~`)ぐすん
しかし今日から何かのプロになろうとしても
一朝一夕でなれるものではありません
(゜~゜)
長年の経験や努力の積み重ねを経てはじめて
専門家やプロフェッショナルになれるのです
(゜~゜)
そう考えると
自分が今までの人生で費やした時間や
積み重ねた経験には
それだけで大きな価値があるのです
(o゜~゜)oホエ?
なぜなら30歳の人が二人いたとして
30年間生きてきたという時間の長さは同じだけれど
それまでに経た経験や何に時間を費やしたかは
各人で異なるからです
(゜~゜)
そしてその時間や経験こそが
今の自分を創っています
(゜ロ゜)
なので理想の自分になるためには
または向上するためには
日々有意義な時間と経験を積み重ねなければならないのです
(o゜~゜)o
その費やした時間の中に
何らかのテーマや専門性があれば
それがブログのテーマや専門分野として生きてきます
(ノ゜ロ゜)ノ
ではふみっこが今までの人生で
人並みよりも多くの時間を費やしたものは何だろう
と考えると
思いつくのは
「読書」「哲学」「虚無主義」「成功哲学」「相場」「海外一人旅」
などになります
(゜~゜)
それらはテーマがバラバラで
ブログとして考えると統一感がありません
(゜~゜)
しかしどれかを選んでしまうと
他のものを捨てることになります
(゜~゜)
それらすべてが一体となって
今のふみっこを構成しているのです
(ノ゜~゜)ノ
それにふみっこは何かの専門家を目指しているわけではなく
ふみっこ自身の向上や自己実現を目指している以上
今までに費やした時間や経験を捨てることはできません
(゜~゜)
そんなわけで
「ふみっこのブログのテーマや専門性は何か」
を考えると
どれかひとつに絞ることができないので
「ただの個人ブログ」
となります
(´~`)アハハ
by fumiblog | 2010-06-25 23:16 | ふみっこ哲学 | Comments(2)
ふみっこはブログに何を書くのか
皆、ほとんど無意識的に自分は特別な人間だと思いこんでいます
その特別な自分が語るのでありますから、
自分の話は当然有意義なものだと思い込んでいます
しかし実のところは、クダラナイ人間が、
どうでもいい話をしているだけ
(小池龍之介「自分から自由になる沈黙入門」)

( ´~`)ノハーイ
紆余曲折の果てに
このブログの目指すところが明確になりました
(o゜~゜)oホエ?
ふみっこの思いは
「向上心」
ふみっこの目指すところ
すなわち目的は
「認知欲求と自己実現欲求を満たすこと」
です
(´~`)アハハ
しかし目的が明確になっても
思っているだけでは達成できません
(゜~゜)
目的を達成するためには
具体的な手段が必要なのです
(゜~゜)ノぁぃ
ふみっこにとってその手段とは
ブログを書くことでした
(o゜~゜)oホエ?
しかしブログに何を書くかを
まだ考えていなかったので
考えておきたいと思います
(゜~゜)
ところでふみっこの最終目的は
自己実現です
(o゜~゜)oホエ?
ある人が自己実現を達成するというのは
その人がその人として完成する
ということであるはずです
(ノ゜~゜)ノジャジャーン
ふみっこがふみっことして完成するためには
ふみっこの思想や哲学を書くことになります
(*^~^*)ノハーイ
ただし問題なのは
ふみっこが思想や哲学を書いたところで
自分ではそれで満足しても
果たして読者を満足させることができるのか
という疑問です
(´~`)アハハ
しかしふみっこに欠けている認知欲求を満たすためには
自己の満足に留まらずに
他者の満足をも満たさなければならないのです
(゜~゜)
ではこの世の中で
人気を集める
価値のあるブログとは何なのでしょう?
(o゜~゜)o
ふみっこが考えるに
それはほぼ例外なく
ある分野に特化した専門ブログであるということなのです
(゜~゜)
そしてそれは
誰もやっていないこと
マイナーな分野であればあるほど
価値があります
(o゜~゜)oホエ?
人間は限られた時間しか持っていないので
長い人生であっても
あれもこれもできるわけではなく
ごく狭い分野にしか深く関わることができません
(゜~゜)
だからこそ私たちは
特定の分野に集中して生きてきた人
すなわち専門家やプロフェッショナルに対して
感銘を受けるのです
(o゜~゜)oホエ?
であればふみっこも
ある分野に特化した
専門家やプロフェッショナルにならなければならない
(゜~゜)
そんなわけで
「ふみっこはブログに何を書くのか」
の回答は
「ふみっこの思想や哲学」
であるけれど
それは
「ある分野に特化した希少なものでなければならない」
となります
Σ(゜~゜)ガビーン

市場で高く評価され、高い値段がついているものがあります
それにはいろんな理由がありますが、一つは「希少性」が挙げられます
希少性とは、「珍しい」ということ
つまり、自らを高い値段で売るには、
市場の中にそれほどいない「珍しい」経験、
スキルを持った人材になることが重要だということになる
(小笹芳央「自分は評価されていないと思ったら読む本」)

by fumiblog | 2010-06-24 00:18 | ふみっこ哲学 | Comments(0)
ふみっこの野望
スポーツでも学問でも、芸術でもそうだ
他人に影響を与えていると思うのは、うぬぼれに過ぎない
世の中がもっともっと荒れた時代が来ると、それらは何の役にも立たず
ただただ本質的なものだけが残る
食べて、眠り、愛するということだけだ
(野島伸司「世紀末の詩」)

( ´~`)ノハーイ
現状に対する不満感や不幸感こそが
行動を起こすためのエネルギー源となる
というのが前回の話でした
(゜~゜)
ふみっこは現状に満足しているので
行動源となるエネルギーがなかったのです
(´ロ`)
しかし冷静に考えると
ふみっこはすでにある行動を起こしていた
ということに気づきました
(o゜~゜)oホエ?
それはこのブログの設置です
(゜ロ゜)ギョエ!!
ふみっこはなぜわざわざ時間を費やして
ブログを設置したのか――
前回の論理に従うと
その行動の裏には
必ず不満感や不幸感が潜んでいるはずです
(o゜~゜)oホエ?
そしてこのブログの設置理由は
やはり現状に対する不満感があったのです
(゜ロ゜)ギョエ!!
それはふみっこは現状のまま
株取引で生活をして
好きな読書をして
ときどき旅行に行って
そうやって年老いていったとしても
それが幸福だとは思えないのです
(゜~゜)
なぜならそんな人生には
ふみっこの思いである
向上心というものが欠けているからです
(つ~`)ぐすん
ところで
心理学者マズローの欲求段階説
というのを知っていますか?
(o゜~゜)oホエ?
心理学の本などに
よく出てきます
(゜~゜)
それは人間の欲求には階層があるという話です
(゜~゜)
階層1生理的欲求 (食べるものがあって生きられる)
階層2安全欲求 (安全で平和な生活が送れる)
階層3親和欲求 (仲間・恋人・家族とのふれあい)
階層4認知欲求 (自分のことを人に認めてもらう)
階層5自己実現欲求 (目標の達成、成長、能力を最大限に発揮)
(゜~゜)
階層1の欲求が満たされたら階層2へと
順番に進みます
(゜~゜)
つまり衣食住や安全で平和な生活というのは
人間にとって最優先事項であり
それが満たされていないと
人とのふれあいや自己実現などは
優先順位に劣るので
後回しになるというわけです
(゜~゜)
たとえば戦争状態になるとか
超貧困国になると
根本欲求である階層1と2が常に脅かされるので
人間は余裕がなくなり
他者への配慮だとか
文化的な生活というものがなくなります
(´ロ`)
ところで20歳前後の学生の頃に
階層5のレベルで自分探しをしていた若者が
社会に出たり結婚をしたら
仕事をして生きていくだけで精一杯になり
自分探しなどと悠長なことは言ってられなくなった
というのはよくある話だと思います
(o゜~゜)o
というかそれはふみっこのことであり
社会に出た後は
階層1のレベルにまで落ちて
いかにして生きていくか
がテーマになりました
(゜~゜)
しかしそれが軌道に乗って
階層3まで満たされて余裕が生まれると
次は階層4と5がターゲットになってしまい
階層3まで満たされたからそれでいいじゃない
とはならないのです
((;゜ロ゜)オロオロ
今のふみっこに決定的に足りないもの
それが
階層4の認知欲求
階層5の自己実現欲求です
(゜~゜)
その欠乏感こそが
このブログを作るという行動を起こした
エネルギー源だったのです
(゜ロ゜)ギョエ!!
そんなわけで
「ふみっこの野望とは何か」
を明らかにすると
「このブログを通して
ふみっこの存在を一定数の人に知ってもらい(認知欲求)」
「ふみっこの思想や哲学をブログに書くことで
ふみっこがふみっことして完成する(自己実現欲求)」
それがこのブログに秘められた野望です
(*^ロ^*)ノハーイ
by fumiblog | 2010-06-22 22:31 | ふみっこ哲学 | Comments(5)
ふみっこの目的探し
何か世の中にモノを残すという行為は
個々の持つ才能とは関係なく
その「エネルギー」に拠る、という事実なのです
この場合のエネルギーは、「気持ち」とか「そうなりたいという欲求」と
言い換えることができるかもしれません

自分の才能や現状に自信のない人は、それだけエネルギー値が高く、
そのエネルギーを世界にぶつけ続けるだけで、いつか理想の自分になれるだろうし
そのエネルギーを持たない者は、それで幸せなのだから問題はなく
(水野敬也「ウケる日記」)

( ´~`)ノハーイ
今のふみっこには目的がない
それに気づいたのが前回でした
(゜~゜)
向上心という思いは見つかったものの
それと対になる目的がない以上
それを探さなければなりません
(゜~゜)
ところで多くの人たち
特に若い人たちは
「お金が欲しい」
とか
「人に好かれたい、モテたい」
といった願望を持っているはずです
(o゜~゜)oホエ?
それでも現実は
平均以上にお金がある人や
平均以上にモテる人は
一部の人に留まっているのが現実です
(゜~゜)
それはなぜかというと
願望と行動の間には
大きな隔たりがあるからです
(o゜~゜)oホエ?
お金持ちになるために
何か具体的な行動を起こしている人と
お金持ちになりたいと思いながら
日々テレビやゲームをしながら過ごしている人
願望を手にする可能性が高いのは
前者です
(゜~゜)
秋葉原に集うオタクと言われる人たちは
趣味にばかりお金を使って
身だしなみ(ファッションや美容院)にお金をかけません
(゜~゜)
つまるところ願望に留まってしまう人たちは
行動が伴っていないのです
(o゜~゜)o
一方で願望を現実化する人たちは
必ず行動が伴います
,,,,,,,,,,,(((((ノ゜ロ゜)ノ
ということは
行動がすべてであるというわけです
(ノ゜ロ゜)ノウキャー
では行動を起こす人と
起こさない人
その違いはどこにあるのでしょう?
(o゜~゜)oホエ?
それは現状に満足しているかいないか
の違いです
(o゜~゜)oホエ?
どんなにダメな自分でも
それに自分で納得してしまうと
仕方がないと思ってしまうのです
(´~`o)ほっこり
「仕方がない」とか「諦める」とか「面倒」
といったところからは
当然エネルギーが生まれません
(´ロ`)
現状に不満感があってもなお
行動は起こさずに
現状に留まり続ける人は
現状で満足しているのと同じです
(´ロ`o)
一方で行動を起こす人は
現状や今の自分に対して
納得できない気持ちや
許せない気持ち
なんとかしたい気持ち
打破して変えたい気持ち
それらの不満感や不足感がエネルギーとなり
実際の行動となって表出するのです
(ノ゜~゜)ノウキャー
つまり行動力を身につけるためには
現状が良くても悪くても
そこに安住してはならないということ
現状に対する不満感や不足感を
絶えず持ち続けて
それを行動に移すことで解消し続けなければならないのです
(゜~゜)ノぁぃ
そんなわけで
「ふみっこの目的はどうすれば見つかるのか」
の答えは
「現状に満足したり幸福であると、
それ以上の目的を達成する行動力(エネルギー)が得られない」
よって
「現状の自分にダメ出しをして、満足感や幸福感を捨てて、
不満感や不幸感に満たされなければならない」
となります
Σ(゜~゜)ガビーン
by fumiblog | 2010-06-21 17:05 | ふみっこ哲学 | Comments(0)
ふみっこの目的
「あなたは具体的、かつ明確な人生目標と、
その目標を達成するためのプランを何かに書いていますか?」
というエール大学の調査がありました

「イエス」と答えた学生は全体の3%しかいませんでした
ほかはすべて「ノー」だったのです

20年後、調査員は彼らを再び訪れました
すると、当時、具体的、かつ明確に自分のプランを書き記していた3%のグループの年収合計は、残り97%のそれを上回っていたことがわかりました
金額だけではありません
幸福感や生活の張りという質においても高かったのです

この調査は、とても興味深い示唆を与えてくれると思います
すなわち、成功する人は漠然とした曖昧なプランなど描かない、ということです
心の中で漠然と願っているだけでは実現などしないからです

(中島孝志「ホントにやりたいこと、見つかった?」)

( ´~`)ノハーイ
ここまでの流れを振り返ると
ふみっこの思いを探す過程で
「向上心」という答えに辿り着きました
(ノ゜~゜)ノ
しかしふみっこは向上するために何をすべきか
を考えた時に
行き詰まりました
(o゜~゜)oホエ?
なぜなら向上心とは
目的とセットになったものだからです
(゜~゜)
この資格を取得したい
年収を増やして欲しいものを買いたい
キレイになってモテるようになりたい
起業して社長になりたい
成功して南の島で暮らしたい
目的とはそういったものです
(゜~゜)
ふみっこは向上心があっても
目的がありませんでした
(´~`)アハハ
しかしふみっこもかつては
明確な目的があったのです
(o゜~゜)oホエ?
それは大学を卒業して
社会に出た時に
否応なく社会という壁にぶち当たったことで
目的が生まれたのです
(゜~゜)
それはこの狂った社会で
妥協して協調しながら
上司の言いなりになって顧客にペコペコしつつ
朝から晩まで働きたくない!
と強く思ったのです
(゜~゜)
そうして芽生えたふみっこの目的は
「社会と関わらずに一人でできる仕事をしながら生きていく」
でした
(゜~゜)
それが実現できなければ
この社会で妥協しながら生きたくないので
死ぬしかないと思ったのです
背水の陣でした
(゜~゜)
しかしそれはふみっこの人生において
もっとも困難な闘いでした
(゜~゜)
なぜなら能力もスキルも金もないひよっこが
何が正解かもわからない中で
たった一人で難問に立ち向かわなければならなかったからです
(゜~゜)
ふみっこをサポートしてくれたのは
図書館の本だけでした
(´~`)アハハ
しかし誰にも頼れないということは
自分の判断や行動に頼るしかないので
逆に主体性が養われること
人間関係がまったくなくても
有識者やプロが書いた良書をよく読むことで
それらが自分の味方になってくれること
を知りました
(o゜~゜)o□
そうしてふみっこは
5年がかりぐらいで
その目的を実現したのです
(ノ゜~゜)ノ
その結果ふみっこはこの数年
特にストレスもなく気楽に生きていて
旅行も好きなだけ行けるので
かつてあったハングリー精神がなくなりました
(´~`o)ポケー
それでも怠けていたくはないので
向上したいと思いながら
本を読んだりしているのだけど
特に何か目的があるわけではない
(゜~゜)
結局目的というのは
強い思いがあったり
切迫したものでないと
長続きしないし
ただの願望で終わってしまいます
(゜~゜)
そんなわけで
「ふみっこの目的は何か」
を考えると
「すでに叶ってしまい次の目的を見出せていない」
となります
Σ(゜~゜)ガビーン
by fumiblog | 2010-06-19 00:48 | ふみっこ哲学 | Comments(2)
ふみっこの迷走
問題意識のない人にとっては、いかなる書も面白くはない
いかなる書も良書ではありません
(中島義道)

( ´~`)ノハーイ
当初見出せなかったこのブログの意義や目的が
だんだん見えてきました
(o゜~゜)oホエ?
簡単に言えばふみっこは
向上するためにブログを書くことになりました
(´~`)アハハ
そこで
「ふみっこは向上するために何をすべきか」
という記事をメモ帳に書いてみました
(o゜~゜)oホエ?
それに対する回答は
「本を読んで役立った知識を自分の生活に活かす」
「未知のことを知るように努める」
「さまざまな問題の本質を考える」
「新しいことを始める」
などでした
(゜~゜)
ブログではそういったことを書いていくことになるので
試しにひとつ記事を書いてみることにしました
(゜~゜)
先日
「20歳のときに知っておきたかったこと」
という本を3時間かけて読んだので
そこから得たことを書くことにしました
(゜~゜)
ふみっこは読書の際は必ず
付箋を貼りながら読みます
(゜~゜)
だいたい1冊の本で自分にとって重要な箇所は
全体の10~20%程度でしかないので
自分が重要だと感じた付箋の箇所だけを
理解できればいいのです
(o゜~゜)o
なので一読した後に
付箋のところだけ再度読み直して
この本から得た知識や教訓をPCのメモ帳に書いていきます
(゜~゜)
そのメモを元に
ブログ記事を書こうとしたのだけど
この本は自己啓発書としてはありがちな類で
そんなに重要なことが書かれてなかったので
だんだんどうでもよくなりました
(´ロ`)アハハ
アウトプットすることは思考の訓練になる
とはいえ
本人が問題意識を感じていないことに取り組んでも
どうしようもありません
(゜~゜)
ではふみっこは
何に問題意識を感じているのだろうと考えました
(o゜~゜)oホエ?
それは向上することでした
(゜~゜)
そのために読書をしたわけだけど
3時間かけて読んだ上記の本が
向上をもたらしたかどうかはわからない
という結果になりました
Σ(゜~゜)ガビーン
ふみっこは比較的時間にゆとりがあるので
有意義であるという理由から
本をたくさん読むのだけど
本から得たことが
なんとなく役に立っているような気がして
その結果
なんとなく向上しているような気がしているけれど
明確な問題意識がない以上
「なんとなく」でしか測れないことに気づきました
Σ(゜~゜)ガビーン
ふみっこの向上心
それはあまりにも漠然としたものでした
(´ロ`)アァー
by fumiblog | 2010-06-17 23:23 | ふみっこ哲学 | Comments(0)
ふみっこはなぜブログを書くのか
わたしは詩人たちにうんざりした
古い詩人にも新しい詩人にもうんざりした
わたしにとって、彼らはすべて、うわべだけを追い求める者たちであり、浅い海である
彼らは十分に深く考えなかった
それゆえ、彼らの情感は、物事の根底にまで下っていくこともなかった
何がしかの恍惚と、何がしかの退屈
これがせいぜい彼らの最も上等な思索であった
(ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」)

( ´~`)ノハーイ
ここまでいろいろ書いてみて
ふみっこの思いや興味は
「向上心」というキーワードに集約されるのではないか
と思いました
(o゜~゜)oホエ?
ではふみっこは
たとえば向上心をテーマにして
わざわざブログを書く必要性があるのだろうか?
と自問しました
(o゜~゜)oホエ?
それを検証するために
ブログとは何かについて考えてみたいのだけど
世の中のブログは
大きく2つに分けられると思います
(゜~゜)
ひとつは
個人が主に自分の日常(何を食べた、どこに行った等)を綴る
個人ブログ
(´~`)
もうひとつは
ある分野の有識者やプロフェッショナルが
特定の情報・知識・ノウハウなどを綴る
専門ブログ
(゜ロ゜)
そして個人であっても専門家であっても
自分の日常や興味をブログに書くことに対して
基本的に金銭的な見返りがありません
(o゜~゜)oホエ?
ほとんどのブログは
無償の行為なのです
(゜~゜)
にも関わらず
なぜ少なくない人が
貴重な時間を費やして熱心に更新しているかというと
人間は承認欲求を持っているからです
(o゜~゜)oホエ?
自分の話を聞いて欲しい
反応して欲しい
理解して欲しい
喜んで欲しい
人間とはそういった欲求を持った生きものなので
ネット上の繋がりであっても
その欲求が満たされると嬉しいのです
それが承認欲求です
(*゜~゜(゜ロ゜o)面白いねこれ
それはブログに限った話ではなく
携帯電話
電子メール
SNS
ツイッター
これらはすべて
人と人とを繋ぎ
承認欲求を満たしてくれる装置だからこそ
爆発的に普及しました
(ノ゜ロ゜)八(゜~゜)ノ
しかしふみっこは
ブログに読者が介在せずに
自己完結の世界であっても
有意義であると思っています
(o゜~゜)oホエ?
インターネット・PC・携帯が登場する以前のアナログ時代
日記帳にペンで毎日日記を書く
という人たちが一定数いました
(o゜~゜)oホエ?
その人たちは
誰に見せるでもない日記を
日々淡々と綴っていったのです
(゜ロ゜)ギョエ!!
誰にも見せないので
当然何の反応もなく
承認欲求は満たされません
(゜~゜)
それは完全に
自己完結の世界でした
(゜~゜)
それでもなぜ一定数の人々は
熱心に日記を書いたのでしょう?
(o゜~゜)oホエ?
それは日記を書くというのは
自分の思いや気づき
考えをまとめることであり
それはすなわち
内省をすること
思考をすることであり
それを漠然とした思いや考えではなく
文章としてまとめて
日記帳にアウトプット(出力)するということなのです
(o゜~゜)φ
それはつまり
思考力の訓練に他なりません
(゜ロ゜)ギョエ!!
そんなわけで
「ふみっこはなぜブログを書くのか」
の回答は
「思考力の訓練のため」
となります
(´~`)ノハーイ
by fumiblog | 2010-06-14 20:36 | ふみっこ哲学 | Comments(2)
力への意志
生において価値あるものといったら
力の度合以外に何もないのである
そのことの前提はほかでもない
生そのものは力への意志である、ということである

一方で道徳は、献身、謙虚等を教えたのであった
もしもこの道徳への信仰が没落したと仮定するならば
できそこないの者どもは、慰めをもはや持たなくなって
その結果、没落してゆくことになるであろう
(ニーチェ「力への意志」)

( ´~`)ノハーイ
いまふみっこが興味があること
前回の記事で出た結論は
有限の時間を有効に使い
有意義で豊かな人生を送ることでした
(゜~゜)
そのためにもっとも重要だと考えるのは
向上心を持つことです
(o゜~゜)oホエ?
この世の中には
惰性で生きている人
現状で満足してしまう人
簡単に諦めてしまう人
プライドがない人
が多いです
(゜~゜)
「自分は頭が悪いから」
「自分は能力がないから」
などとヘラヘラと言って
簡単に負けを認めてしまう人がたくさんいます
(´~`)ヘラヘラ
自分で負けを認める
というのは
競争社会で他人に負けたのではなく
自分自身に負けたのです
(o゜~゜)oホエ?
なぜなら誰かに
「あなたは負けです」
と言われても
自分でそれを認めない限り
人は何度でも這い上がることができるからです
(ノ゜~゜)ノウキャー
しかし自分自身に負けてしまうと
日々の生活に向上心が芽生えないので
勉強も仕事も
負けムードの中で嫌々取り組むことになるし
余暇の時間は何のためにもならないような
無為な時間を過ごすことになるのです
(゜~゜)
そんな現実はつまらないので
楽しみを求めて
ゲーム、マンガ、アニメ、ドラマ、映画、理想のアイドルなど
非現実の仮想世界に逃げ込むことになります
,,,,,,,,,,,(((((ノ´~`)ノ
しかし仮想世界が楽しくても
現実世界の自分は何も変わらないので
向上や成長がありません
(´ロ`)
一方で力への意志
すなわち向上心を持つということは
決して自分では負けを認めてはならないということ
(゜~゜)ノぁぃ
なので勉強も仕事も
勝てるまで努力をする必要があるし
絶えず成長しなければならないので
余暇の時間も無駄にはできません
(゜~゜)
つまり向上心がないと
過ごす時間も怠惰なものとなるけれど
向上心があれば
過ごす時間が有意義で濃密なもの
成長を促すもの
すなわち豊かなものとなるのです
(ノ゜~゜)ノ
ここまでの流れをまとめると
「いつか死んでしまう人間の人生とは何か」
を考えると
それはすなわち
「与えられた有限の時間をどのように使うか」
であり
「有限の時間をどのように使えば
有意義かつ豊かな人生を送れるのか」
の答えは
「向上心を持つこと」
であり
「向上心を持つことで
時間を無駄にできなくなり
有意義な時間や
成長機会が増えて
豊かな人生を過ごせる」
となります
(´~`)ノハーイ
by fumiblog | 2010-06-12 16:33 | ふみっこ哲学 | Comments(0)