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思い込みの世界
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東京ミッドタウン (2011/7/23)

よく「意志が強い」とか「自分を持ってる」
とかいわれてる人がいるけど、
ただ思い込みが激しいだけ、強引なだけではないのか
アインシュタインやお釈迦様の思想も
結局はただの思い込みではないのか
(山田花子「自殺直前日記」)

( ´~`)ノハーイ
ふみっこはときどき
無意味感に捉われます
(o゜~゜)oホエ?
いろいろなものが無意味に思えて
何をしても無意味なんじゃないかと思います
(゜~゜)
どうもこの世界は
無意味さが本質のような気がします
(゜~゜)
そんな無意味な世界で
人間は一体何のために生きているのでしょう?
(o゜~゜)oホエ?
それは生命の遺伝子には
本能がプログラムされているからです
(゜~゜)
なので意味などなくても
本能プログラムに従っているだけで
生きていくことはできます
(゜~゜)
現にすべての動植物は
そのようにして
何も考えずに機械的に生きています
( ゜д゜)ピコーピコー
人間も動物である以上
生きることに対して
特別な意味や目的を
別に必要としない
ただ惰性と生存欲求だけで
なんとなく生きていくことができます
( ゜д゜)ポケー
でもそんな
なんとなく生きる日々に
無意味さを感じてしまうとしたら
やはり意味を求めているからです
(o゜~゜)oホエ?
「自分の生きる意味はこれだー!」
という意味です
(*゜ロ゜)ノいけー
しかしそれは
意味というよりは
思い込みです
(o゜~゜)oホエ?
たとえば仕事を通して叶えたい夢があったり
充実した仕事人生を送っていたりして
仕事に生きる意味を見出した人がいたとします
(*゜ロ゜)ノいけー
しかしその人にとって
仕事が生きる意味であることの理由は
どこにあるかというと
その人の中にしかありません
(゜~゜)
愛する人や愛する家族のために生きる
という人も
その人自身がそう思ったからです
(゜~゜)
つまり生きる意味を見つけた人というのは
「自分は○○のために生きる」
ということを自分自身で思い込んだ人です
(´~`)
それでも人間から本能的活動を取ったら
あとは思い込みしか残らないのかもしれませんね
(o゜~゜)oホエ?
人間に生きる意味を与えてきたのは
長いあいだ宗教の役割でした
(゜~゜)
しかし宗教とは
昔の誰かが考えた
ひとつの世界解釈、物語、戒律であり
つまり思い込みです
(゜~゜)
宗教自体が思い込みの産物で
それを信じるのもまた思い込みです
(´~`)
このブログで書いていることも
すべてふみっこの思い込みです
(´~`)アハハ
みんないろいろな思い込みを持ち寄って
これはこうなんだよ!
このように生きよう!なんて主張し合う
(゜~゜)
しかしそれがどうであろうと
思い込みでしかないのだから
なんだか無意味に思えてきて
スタート地点に戻ります
(ノд-。)クスン
それでも人間から
思い込みを取ったら
そこには本能の世界しか残りません
( ゜д゜)ピコーピコー
なのでせめて
楽しい思い込みの世界を生きれたらいいですね
(o´~`)ノふわーい
by fumiblog | 2011-08-26 21:52 | 空想哲学 | Comments(12)
非日常世界への憧憬
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ブルネイ王国の夕陽 (2011/7/17)

僕にとって何より重要なのは「極端」であることだ
「極端」であれば、振り切れている
突き抜けたオリジナリティーを獲得している
だから、明快であり、新しい
「極端」なものは既成概念から自由で、インパクトがあり、人を惹きつける

この世にあるものなど、誰もわざわざ見たいとは思わない
人が見たいのは、この世あらざるもの、つまり、非日常的、非現実的なものだ

「この世あらざるもの」とは、日常性を突き抜けたところで、オリジナリティを獲得した極端なものである
大衆はそれにどうしようもなく惹きつけられる
(見城徹「憂鬱でなければ、仕事じゃない」)

( ´~`)ノハーイ
ふみっこは最近は映画とか小説とかほとんど見なくなってしまったのだけど
「暗い作品研究所」でも書いているように
昔から暗い作品が好きで
その気持ちは今も変わりません
(o゜~゜)oホエ?
というのも
明るく楽しいものや
ハッピーエンドで終わるものって
あまりにもありふれていますよね
(o゜~゜)oホエ?
なので視聴者や読者を突き放して
救いようのない結末で終わる
強烈な後味の悪さを残す
極端な悲観主義ですべてを否定してしまう
勇気ではなく絶望感が得られる
そういう作品は滅多にないからこそ
最高だと思います
(´~`)アハハ
たとえば多くの創作者は
作品の中で
「愛」というものを描こうとします
(o゜~゜)oホエ?
この世には愛があるから
希望を持って生きようというわけです
(゜~゜)
しかしそういうメッセージは
私たちは何百回も聞かされています
(つ~`)
だからこそそれとは正反対に
「この世に愛はない」ということを
描いている作品があるとしたら
最高だと思いませんか?
(´~`)アハハ
そういうのは滅多にないからこそ
斬新で
私たちの胸を打つのであり
そんな愛がないことをテーマにした小説は
野島伸司「世紀末の詩」
学術書だと
「愛はなぜ終わるのか」
なのだけど
これはどちらも愛というものを真摯に捉えていて
人生観を変えるようなインパクトがあります
(´~`)
それと同様に
「生きる勇気」を描くのが普通でありふれているからこそ
「死ぬしかない絶望」が描かれた世界は特殊で
やはり強烈なインパクトがあります
(゜ロ゜)
それは本でいえば
昔ふみっこが強烈に惹きつけられたのは
自殺者が残した日記です
(o゜~゜)oホエ?
そういう本は何冊も読んだのだけど
その最高峰に位置するのが
高野悦子「二十歳の原点」
山田花子「自殺直前日記」
なのだけど
ふみっこがこういう本に憧憬の念を抱いてしまうのは
そこに極端な価値観があるからです
(o゜~゜)oホエ?
つらいことがあっても
99.99%の人は踏み止まって生きていくわけで
だからこそこの世には
「つらいことがあっても生きましょう」的な価値観が蔓延していて
そしてそれは改めて言われるまでもなく
99.99%の人はそうしていて
普通でありふれていることなんですよ
(o゜~゜)o
一方で自殺者の世界には
自殺がいいことか悪いことかは別として
そこには特殊な一線を踏み越えてしまった人の
非日常世界が広がっていて
0.01%の特殊な価値観があるわけです
(゜ロ゜)
一方で
「自殺した子どもの親たち」のような
残された側をテーマにした世界もまた
私たちが普段知ることのない0.01%の非日常世界であり
残された人たちはもはや普通に生きることができなくなって
特別な死生観を携えて生きるしかなくなるんですよね
(つ~`)
ということで非日常世界の一例が
自殺者の世界なのだけど
この世には他にも
常識の世界や多数派の世界から
逸脱することで生まれた
無数の非日常世界があります
(o゜ロ゜)o
その非日常世界とは
世間や多数派に迎合していなくて
賛同者が誰もいないような最果ての地で
特殊な世界観を孤独の中で醸成してきたからからこそ
非日常なのであり
美しいのです
(*゜ロ゜)キラキラ
しかしこの社会では
常識や多数派といったものが幅を利かせていて
非常識なものや少数派の世界は見向きもされないことが多いです
(゜~゜)
多数派のメインストリームを歩んでいれば
「みんなと一緒」という安心感が得られるけれど
そこから踏み外してしまった人は
理解者がいない中で
特殊な価値観を携えながら
孤独な道を歩まなければなりません
,,,,,,,((o´~`)oてくてく
そんな時に救いになるのは
自分と似たような
共感できる価値観を見つけることではないでしょうか?
(o゜~゜)oホエ?
昔のふみっこが暗い作品に惹かれた理由
それは暗い世界の住人だったふみっこにとって
明るい世界では見出すことができなかった
共感し合える友達が
そこにはいたからです
(≧~≦)ぶは
by fumiblog | 2011-08-18 00:34 | ふみっこ哲学 | Comments(10)
知恵が創った世界
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上野 国立科学博物館 (2008/1/6)

われわれが進もうとしている道が
正しいかどうかを
神は前もって教えてはくれない
(アインシュタイン)

( ´~`)ノハーイ
サルから進化して
二足歩行する猿人が誕生したのは
600~700万年前とされています
(o゜~゜)oホエ?
その初期人類は
私たちの直接の祖先ではなく
猿人→原人→旧人→新人
という感じで20種類ぐらいに枝分かれして進化していきました
(ノ゜~゜)ノ
そして20万年前に誕生したホモ・サピエンスが
地球上で唯一生き残った人類であり
私たちはその子孫です
(゜ロ゜)
その700万年の間
人類はずっと狩猟採集生活を送ってきました
(o゜~゜)oホエ?
野生動物の狩りをしたり
木の実や山菜を採集して食べる生活です
(´~`)もぐもぐ
しかし毎日食糧にありつけるとは限らないので
常に飢えとの闘いが待っていました
(´ロ`)
また食糧の絶対量が限られているので
人口も増えていかず
文明というものを起こす余裕が人類にはありませんでした
(゜~゜)
しかし人類は1万年前に
農耕と牧畜を始めました
(o゜~゜)oホエ?
今までは周辺の動物や植物を「獲る」ことでしか
食糧にありつけなかったのが
自らの手で「生産」できるようになったのです
(*゜ロ゜)ギョエ!!
これは人類の歴史において
革命的な出来事でした
(o゜~゜)oホエ?
食糧の安定供給が可能になったことで
人口が爆発的に増えて
農耕で栄えた古代都市文明が発展し
社会や国の誕生へと繋がったのです
(ノ゜~゜)ノ
農耕を始めてからのわずか1万年で
人類の世界は加速度的に変化し
短期間で高度な文明を築き上げました
(゜ロ゜)
それまでの699万年は
食糧は自らの手で生産できるということを知らなかったばかりに
長い苦渋の時を過ごしたのです
(´~`)アァー
つまりひとつの知恵によって
世界は一変しました
(゜ロ゜)
そして文明社会を築き上げていく過程で
食糧生産をコントロールしたのと同じように
人類はさまざまなものをコントロールしていきました
(o゜~゜)oホエ?
たとえばほんの数百年前までの移動手段は
馬に乗るか
人力車か
ひたすら歩くしかありませんでした
(゜~゜)
しかし現代では電車、自動車、飛行機などで
簡単かつ高速に長距離移動ができます
(ノ゜~゜)ノブーン
それは人間が機械やエネルギーを用いて
動力をコントロールしたからです
(゜ロ゜)
また医療の発達は
長寿命を実現し
かつて高かった乳児死亡率も劇的に下がりました
(゜ロ゜)
現代の医療は人間の生死をコントロールしているといっても
過言ではありません
(゜~゜)
またエネルギー資源はかつて
化石燃料である石油や石炭を燃やすしかなかったのに
数十年前から
原子力という強力なエネルギーをコントロールし始めました
(゜ロ゜)
それにより人類は
効率的なエネルギー資源を手にした一方で
その強大な原子力エネルギーは
人類の命や
地球そのものを脅かす存在になっています
((;゜~゜)
そんなわけで人類はその歴史の中で
さまざまなものをコントロールして
それを有効利用することで
より豊かになり栄えてきました
(゜~゜)
ホモ・サピエンスとは
「知恵のある人」
という意味です
(o゜~゜)oホエ?
知恵によって
さまざまな困難や
自然の猛威や
自らの愚行を乗り越え
都合のいいようにコントロールして
より発展していく
(゜~゜)
なので人類が知者であるならば
原発のようなリスクの高いものは見直して
より安全な原発を作ったり
別の再生可能エネルギーに活路を見出すはずです
(o゜~゜)o
ホモ・サピエンス=知恵のある人によって切り開かれた世界は
高度な知的文明であり
知恵によって世界は劇的に変化し
さまざまな困難からも身を守ることがきる
もはや知恵なしで生きていくことはできないのです
(o´~`)ノハーイ
by fumiblog | 2011-08-14 02:35 | 空想哲学 | Comments(2)
神仏への祈り
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宇都宮 ふるさと宮まつり (2011/8/6)

自分の人生を自分でコントロールすることは
「いいことが起こりますように」などという受け身の姿勢ではない
自ら出かけていって
自分の力で「いいこと」を起こそうとすることだ
(ブライアン・トレーシー「フォーカル・ポイント」)

( ´~`)ノハーイ
先週末に小旅行で
栃木県の宇都宮と日光に初めて行きました
(o゜~゜)oホエ?
日光といえば
日光東照宮が有名で
世界遺産にも登録されています
(゜ロ゜)
ふみっこは何の期待も知識もなく初めて訪れたのだけど
東照宮の周辺って
簡単に言えば
人々が何かを願ってお祈りをするスポットなんですよね
(´~`)なむなむ
なので仏像や賽銭箱
お守り屋やおみくじ屋などが
その一帯にたくさんありました
(゜ロ゜)
ガイドブック(るるぶ)では日光はパワースポットとして紹介されていて
お守りもご利益があるそうです
(´~`)
観光客の人たちも
神妙な面持ちで
けっこう熱心に祈りを捧げていました
(´~`)なむなむ
信仰は個人の自由ではあるのだけど
ふみっこ自身は
そういうお祈りごと全般を
まったく信じてないんですよね
(o゜~゜)oホエ?
なので初詣も
もう10年ぐらい行ってません
(´~`)
なので超先進国日本でも
このような信仰心が息づいていたことを
関知してなくて
新鮮に見えました
(o゜ロ゜)o
そもそも賽銭箱に小銭を入れて
手を合わせて祈れば
それで願いが叶うとか
お守りにご利益があるとか
おみくじの吉や凶がどうこうとか
すべて何の科学的根拠もないですよね
(´ロ`)アハハ
それはみんなわかっていると思うのだけど
それでも多くの人が
こういう場所に来ると
「祈りを捧げてしまう」とか
「お守りを買ってしまう」といった現実があるわけで
それは一体なぜなのでしょう?
(o゜~゜)oホエ?
それは人間は
弱くて無力な存在だからです
(゜~゜)
常に偶然という運命に翻弄されて
明日何が起きるのか
自分の身に何が降りかかるのか
見通すことができません
(゜~゜)
そんな不確実性や不条理が
人々に不安をもたらします
((;´~`)オロオロ
そんな無力な人間に残された
唯一の方法が
大いなるもの(神仏など)に対して
祈ることなのです
(ノ´~`)ノなむなむ
また今現在なにか
問題事や不幸を抱えていたら
その解決を神仏に祈るのです
(ノ´~`)ノなむなむ
ふみっこはそこに
人間の弱さを感じてしまいます
(゜~゜)
それは「自分で何とかする」ことを放棄して
「大いなるもの」によって
「(厄災から)守ってもらおう」と考えたり
「(問題事を)解決してもらおう」と考えているからです
(´ロ`)
それは文字通り他力本願な考え方で
そういう人は何かに頼ろうとする気持ちが強く
自分で何とかしようとする意志が欠けている
とふみっこは思います
(゜~゜)
そしてこれが相場だと
そういう人は勝てないようにできているんですよね
(o゜~゜)oホエ?
それはたとえば
「持ち株が上がって欲しい」と「祈ってしまう」のは
ふみっこ的にはやってはいけないことなのです
(o゜~゜)oホエ?
相場は常にどのような動きもありえるので
個人的な願望を持ち込むべきではないんですよね
(゜~゜)
もちろん上がると思うから買いポジションを持つわけだけど
100%上がるなんてありえなくて
上がるか下がるかは常に50%の確率でしかないので
常に上がっても下がってもどっちでもいい
というスタンスでいるべきなのです
(o゜~゜)oホエ?
そして予測が外れて下がったら
さっさと損切りすればいいだけだからです
(゜~゜)ノサッ
でも下がってきた時に
「上がって欲しい」というような「願望」を持つことは
現状に対する「甘え」なのです
(o゜~゜)oホエ?
当初の予測が外れたのだから
損切りをしなければならないのだけど
でも損失を出したくないし
負けを認めたくないので
損切りすること=自分で判断することを放棄して
「上がって欲しい」と祈り始めるのです
(ノ´~`)ノなむなむ
そういう人はつまり
自分に対する厳しさが欠けていて
甘えがあるのであり
甘い人が生き馬の目を抜く戦場で勝ち残れるはずもなく
いつか損失を膨らませて退場することになります
(o´~`)ノハーイ
それを現実世界に当てはめて考えると
現実のあらゆる局面で
「祈るべきではない」
ということになります
(゜Д゜)ハァ?
それは祈ってしまった時点で
「自分で何とかする」という主体性を
放棄したことを意味しているからです
(゜~゜)
なので神仏に祈りたいような気分になった時は
「いま自分に何ができるのか」
「問題の原因は何なのか」
「なぜこのような状況になったのか」
「どうすることがベストなのか」
といったことを考えて
自分で判断・行動することで
主体的に生きることができます
(≧~≦)ノハーイ
by fumiblog | 2011-08-09 17:42 | 成功哲学 | Comments(7)
人はしたいことをして生きる
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スイス ベルン クマ公園 (2010/5/8)

「努力」という言葉を、僕なりに定義し直すと、それは圧倒的なものになって、初めて「努力」と言える
一般的に言う「努力」など、その名に値しない
人が足元にもおよばないほどに行った凄まじい努力が、僕の言う「努力」である

それにしても、なぜ人は、僕の努力の結実を運と言うのだろう?
単なる、やっかみだろうか?
僕は、長い間不思議でならなかった
そして、こう思うに至った
彼らは、本当の努力をしたことがないのだ

結局、人は自分のスケールでしか、物事をはかることができない
圧倒的な努力は岩をも通す
そのことを彼らは知らないのだ
知らないなら、知らないで結構
仕事とは、つまるところ、競争である
多くの人がこのことを知り、圧倒的な努力を始めたら、僕とは差がつかなくなってしまう
(見城徹「憂鬱でなければ、仕事じゃない」)

( ´~`)ノハーイ
最近読んだ上記の本に
「努力をしろ!」的なことが延々と書いてあり
特に努力をしていないふみっこは
ヤバいんじゃないかと思えて焦りました
(@Д@;オロオロ
たしかに人は死に物狂いで努力することによって
行き詰った状況を打開できて
成長することができるのでしょう
(ノ゜ロ゜)ノジャーン
ふみっこも人生で始めて
自分の成長を実感できたのは
大学受験のために
一日中勉強していた頃でした
(゜ロ゜;Aアセアセ
でもこの数年
ふみっこの中では
「努力」という意識が
すっかりなくなっていたことに気づきました
(o゜~゜)oホエ?
それは努力という言葉には
嫌なことや辛いことでも
ひたすら耐えて懸命に頑張る
みたいなストイックなイメージがありますよね
(゜~゜)
でもふみっこはやりたくないことはやらない主義なので
自分がやりたいことしかしないんですよ
(´~`)アハハ
ふみっこの日常は本を読む時間が多いのだけど
普通の人が余暇の時間に何をしているかというと
テレビを見たり携帯をいじったり
人と話したり買い物をしたり
お酒を飲んだりゲームをしたり
ということだと思うのです
(゜~゜)
このブログで何度も書いてるけど
ふみっこはそういったことに
あまり意味を感じなくて
人間関係も希薄です
(つ~`)
特にテレビなんかは
お金をもらっても見たいとは思わなくて
芸能人を見てるだけでイライラします
(´~`)
なので一人でできることで
ふみっこが有意義だと思う時間の使い方は
本を読むことと旅行に行くこと
ぐらいしかないんですよね
(´ロ`)
なので本を読むことは
苦労したり努力しているわけではなく
単に自分がしたいことをしているに過ぎません
(゜~゜)
一方でたとえば携帯ゲームにハマっている人は
ゲームに対して時間と労力を注ぎ込んでいるので
ある意味で努力していると言えるんですよね
(o゜~゜)oホエ?
しかしそこに時間と労力を費やしても
得られるリターンが「楽しい」ということ以外に何もないので
「成果主義」であるこの社会では
その努力は無駄に終わることになります
(´ロ`)
つまり「努力」というのは
そこから具体的な「成果」を得られて初めて
努力として認められます
(o゜~゜)oホエ?
なので「遊ぶこと」全般は
努力するとは言いません
(゜~゜)
遊びというのは単に
「楽しむ」ためのものであり
何らかの成果を期待して取り組むものではないからです
(゜~゜)
逆に「勉強」に時間と労力を費やして頑張ると
「知識・能力・スキル・資格・学歴」などの
「成果」を得ることができます
(゜ロ゜)
なので熱心に勉強することは一般的に
「遊び」とは言わなくて
「努力」になるんですね
(o゜~゜)o
しかし「努力」も「遊び」も
そこに自分の「時間と労力」を費やすという意味では
実は同じなのです
(゜ロ゜)ギョエ!!
単純に
意義のある取り組みを「努力」と言い
意義のない取り組みを「遊び」と言うのです
(´~`)アハハ
そして高学歴とか高収入とか金メダルとか
競争の中で成果を挙げた人が評価されるのが
この競争社会です
(つ~`)
そして私たちが何らかの成果を得るためには
自分の時間と労力を
勉強や仕事などの意義のあることに対して
地道に費やしていくしかありません
(゜~゜)
そんな成果主義社会で
もっともつまづいてしまう人たちは
「遊びたい」「怠けたい」
と日常的に思っている人でしょう
(´~`o)ごろごろ
なぜならそういう人が
勉強や仕事で成果を得るためには
あまりやりたくないことに
我慢や苦労をして取り組まなければならないからです
(´ロ`)
それとは逆に
とにかく日々「成果」を得たいと思っている人は
「勉強したい」「能力を向上させたい」
「仕事で成功したい」「頂点に立ちたい」
といった意識を持ちます
(o゜ロ゜)o
プロスポーツ選手のインタビューなんかを読むと
そういう強い意識を感じますよね
(o゜~゜)o
それはプロスポーツの世界では
熾烈な競争の中を勝ち残ることでしか
職業としてやっていけないからであり
「なるべく怠けていたい」という思考回路の人は
そもそもプロになれないからです
(´~`)
なので意識が高い人は
成果をもたらすことのない
「遊ぶこと」や「怠けること」はしたくないのです
(゜ロ゜)
なので重要なのは
「成果主義者」になって
現実世界で成果をもたらすことばかり取り組む人になることです
(勉強や能力の向上など)
(o゜~゜)oホエ?
すると特に「努力をしよう」という意識を持たなくても
単に「したいことをしているだけ」で
成果主義であるこの競争社会の中で
優位に立つことができます
(o´~`)ノふわーい
by fumiblog | 2011-08-06 02:27 | 成功哲学 | Comments(4)