やりたいことがない人生
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札幌 モエレ沼公園 (2012/10)

とある友人の転職相談にのっていた時、なにげなく「で、あなたは何がやりたいの?」と聞いたところ、「ちきりんさん、大半の人間は特にやりたいことなんてないんですよ」と言われてハッとしました

私は昔からやりたいことが多すぎて、時間が足りない、人生が足りないと、焦っていたからです
「やりたくないことなんて、やってるヒマはどこにもない!」と感じていたのです

自分がそうだから、きっと皆も同じで、やりたいことはたくさんあるけれど、勇気がなくて踏み出せないとか、経済的なことが心配で決断できないのだろうと思っていました

でもその友人から「大半の人間はやりたいことなんてないんです。ただ大過なく人生をすごしたいだけです」と言われて、思い当たることが次々と頭に浮かび、確かにそうかもしれないと気がつきました

「やりたいこと」が明確になっているという人は、そこまで多くないのです
(ちきりん「未来の働き方を考えよう」)

( ´~`)ノハーイ
「やりたくないことをやめる」という記事を昔書いたけれど
このような「人生や時間の有限さ」とか
「人生は一度きりなのでやりたいことをやるべき」
みたいなことを意識して生きている人って
実は少ないかもしれないんですよね
(o゜~゜)oホエ?
というのもふみっこの感覚からすると
「自分の時間」や「自分の人生」を
あまり大切にしてない人が多いような気がするからです
(゜~゜)
余暇の時間になんとなくテレビを見て過ごす人は多いけど
そういう時間の使い方は浪費なので
時間をもっと有効活用すればいいのにと思います
(゜~゜)
あとふみっこは昔から単純作業の仕事をしたくないと思っていたのだけど
それは単純作業に人生の多くの時間を費やすことは
人生をロボット的に浪費してしまう感覚が拭えないからです
(゜~゜)
しかし上で引用した文章を見て気づかされたけど
世の中というのは
やりたいことがないとか、やりたいことが見つからない人の方がずっと多いんですよ
(゜ロ゜)ギョエ!!
やりたいことがない人生・・・
それは一見虚しいような気がするけど
人は特にやりたいことがなかったとしても
生物として生きていく本能があります
(o゜~゜)oホエ?
なので前回の記事で書いたように
人は生きていく(食べていく)ために
社会から与えられた仕事をこなします
(゜~゜)
大人になれば結婚して家庭を持つ人が多数派なので
子どもが生まれたら父親・母親になって育てるのが役割になります
(゜~゜)
それらは換言すれば
「本能がやりたいことをやって生きる」
と言えるでしょう
(´~`)アハハ
つまり特にやりたいことがなくても
本能プログラムに従っているだけで
仕事をして家庭を持つという
平均的な人生を送れてしまうのです
(゜ロ゜)ギョエ!!
しかしそれはあくまでも本能コースであり
人生には自由コースもあります
(o゜~゜)oホエ?
エサのために働いて食べて寝て
というのは
他の生物もやっていることで
何も考えなくてもできます
(゜~゜)
しかしそういう本能は別として
「人は何のために生きるのか?」を考えたとき
それは「やりたいことをやるため」なのです
(o゜ロ゜)o
人生には広大な自由が開けていて
法に反さない範囲で
各人がやりたいことをやって生きることができる自由があります
(*゜ロ゜)o
実際ふみっこは
やりたいことをやって生きているつもりです
(*゜ロ゜)o
しかしプロスポーツ選手になりたいとか
アーティストになりたいとか
漫画家や作家になりたいなんて思っても
そこには能力によって厳しく峻別される
熾烈な競争が待っています
(゜~゜)
職業によっては
やりたいことをやって生きるためには
能力や情熱が問われるのです
(つ~`)ぐすん
職業関係ではなく
働かずに南の島でのんびり過ごしたいとか
世界中を旅行したいとかっていうのは
やりたいことというよりも
願望に過ぎません
(o゜~゜)oホエ?
やりたいことが簡単に実行できるものではない場合
情熱やエネルギーが必要になるわけで
やりたいことをやるまでに苦労したり時間をかけたくなれけば
ただの願望に過ぎないのです
(゜~゜)
そう考えると結局は
やりたいことをやって生きるためには
情熱と能力と苦労の連続が必要であり
「そこまでしてやりたくない」という人は
大きなことはできません
(´ロ`)
つまり「自分はどうしてもこれがやりたい」
「それをやらなければ生きている意味がない」
と思えるほどの強い情熱があって初めて
やりたいことのために生きる人生が開けてくるのです
(o´~`)ノふわーい

私は一度朝日カルチャーセンターの「小説の書き方」という講座の受講者連中と呑んだことがあるが、驚いたことに「いま、書くテーマが見つからなくて」と語る作家志望が少なからずいたことである
それなら、書かなければいいのだ
小説家とは、書かなければいられない人のことであり、書かなければ生きることのできない人のことである
書くテーマが腐るようにあるから物書きになれるのだ
(中島義道「人間嫌いのルール」)

by fumiblog | 2013-08-08 21:47 | ふみっこ哲学 | Comments(14)
Commented by 森虎 at 2013-08-11 19:26 x
ふみっこさんこんばんは

ちきりんさんも気づいたというように
彼女のような聡明な方でも自分基準の殻からはなかなか出るのが難しいのだなと感じます
つまり自分がそうなのだから他人もそうなんだろうと知らず知らず前提にしてしまう
私もよくそういうことをしていると思い当たります
それによっておかしな解釈が生まれてしまうこともあるので、なるべく減らしたいのですが
なかなか難しいですね

完璧は人間の限界として無理かもしれまんが
Commented by 無無 at 2013-08-11 22:28 x
ある女優が、女優の仕事を辞め、何もすることがなくなった。それで彼女はパチンコにはまった。パチンコをやっている間は何も考えなくていいからと言っていた。それと、僕のバイト先の人が、昼も夜も兼業して働いてて、なぜそんなに働くのかと聞いたんですが、暇な時間ができると余計なこと考えちゃうからって言ってたんです。その子は睡眠時間さえ削って働いてたんです。結局のところ人間は、主体性なんてものはないから、誰かに命令されて、普通に働いていたいんでしょうね。仕事に集中するのもパチンコに集中するのもいいけど、それって自分の人生を無為に消化してるだけなんじゃないの?せっかく自由が与えられてるのに、それを自ら放棄している、自由をもてあましている、というか。だから大半の人間には実は自由なんか必要ないんだ。テレビゲームについてのコメントがあったので僕も書くけど、確かに昔はアホみたいに僕もやってたね。ただ、時間をつぶすために。確かに無駄な時間だこれは。これなら知識を増やすとか、体力をつけるとか、技量をみがくとかしたほうがよほどマシだ。でも映画は今でも見るんだよね。ゲームよりは時間的拘束も少ないしね。
Commented by 無無 at 2013-08-11 23:20 x
哲学ってのは、暇な時間がないとできないよね。そういうことを考える余裕すらないのが現代社会人でしょ、だから本能のままに動くんだよね。でもややもすると哲学も無意味な言葉遊びになってしまう。偉大な哲人たちも結局は妄想論だけを展開していたってのもある。アリストテレスもプラトンも今からしたら馬鹿なこと言ってますし、ガリレオは地獄の位置と大きさを探求していたというし、エジソンは霊界との交信を試みていたというからね(もっともこれは晩年、多少頭がぼけかけてた時期なんだけど)
Commented by ysnb at 2013-08-12 14:54 x
自由については、「自由からの逃走」という本が面白かったです。ファシズムについて書いた本ですが、なぜ、人々が自由を捨てようとするのか、その心理が書いてありました。
無無さん
古代の哲学者は、哲学だけでなく論理学や化学や物理学や修辞学など、たくさんの学問が混ぜこぜになってる感じがします。だから、今から考えれば馬鹿らしいことでも、それが色んな学問を進歩させる要因になっていると思います。例えば、方法序説での神の存在証明はいまいち納得できませんが、そのために使った方法論は当時では進歩的だったそうです。
Commented by fumiblog at 2013-08-12 17:07
・森虎さん

人はみな違う性格や価値観を有していると前提とした上で、ふみっこ自身は誰にも合わせずに自分基準のマイペースで生きたいと思ってますよ(≧~≦)それが一番楽ですし

・無無さん

ひたすら働いてる人っていますよね。
そういう人って自分の時間を必要としてないってことなんですね・・
やはり世の中は本能的人間と理性的人間というカテゴリがありますね(≧~≦)

・ysnbさん

自由からの逃走は、ふみっこも好きでした(゜ロ゜)
人生って本質的に自由なのに、多くの人は自由を求めてなくて、何かに帰属することで自由を放棄する代わりに安心感を得たいんですよね(o゜~゜)o
Commented by 無無 at 2013-08-12 19:07 x
>ysnbさん
神って単なる言葉遊びのような気がしますが、僕にとってはこの世界の物理法則そのものが神だと思ってます。だって物理法則は絶対でしょ。誰にも曲げることはできないし、誰も逃れることはできない。絶対的に支配を受けるのは物理法則だけ。それ以外の、法律、規律、宗教、なんかは絶対的に支配されるものじゃない。
んで宗教ってのは、ただの価値観の押し付けに過ぎない。人はこうあるべきなんだ、ってのを客観的にまとめたんだ。
そもそも人はどんなにがんばっても完全には客観的たりえないんだけど、それが理解できないから軋轢が生まれるんだよね。まず先天的要因として、遺伝子、後天的には育ってきた環境、時代背景、階級やら就いた職業、そんな様々な要因が、個人の価値観やアイデンティティを形成していく。自分の属するカテゴリーを通してものを考えることしか普通はできない。職業的には、僕は地方公務員、国家公務員、民間企業、そして専業トレーダーとすべてを経験しているから、それぞれの価値観ってのはわかる。どのカテゴリーに属する人も、他のカテゴリーを少なからず敵対視しているということもね。敵対視するのは自分のほうが正しい側にいると認識したいからだ。
Commented by fumiblog at 2013-08-12 19:38
無無さんが公務員をやられていたとは意外です(゜ロ゜)ギョエ!!
Commented by 無無 at 2013-08-12 20:40 x
僕は長い間、市役所で働いてたんですよ。でも市役所で働いてても、何もいいことはない。世界中旅行することも、できやしないです。僕は、ふみっこさんのように、世界中を見て回りたいんですよ。せっかくこの時代に生まれたんですからね、お金と時間さえあればそれが可能なこの時代に生まれたんだから。やらない手はないでしょ、ねえ?
Commented by 結水 at 2013-08-12 21:24 x
私は、あまりやりたいこともなく生きてきた人間です。
どこに行きたい?何したい?何食べたい?
と聞かれても、たいていは、何でもいいと答えてます。
ふにゃふにゃ人間で、トイレットペーパーの芯くらい入れておきなさいと、よく言われてました。
けど、本当にやりたいことがないのかって言ったら自分でもよくわかりません。
このような生き方をしてきたのは、平和に無難に生きることが好きだっただけかもしれません。
反面、あまり理屈にこだわらず感覚的に生きているので、大胆な性格だとも言われます。
みなさんもゲーマーだったようですが(・∀・)
私がゲーマーだったのは、自己防衛で現実逃避をしてたんだろうなと思います。
ゲームをすることによって自分自身というものを守れてきたような気がします。
ムダな時間だったかもしれないけど、少なくとも私にとっては、心身ともに健康を保てたわけだし、その時の自分にとって必要な貴重な時間だったと思います。

自分のことって難しいですね、よくわかりません。
ふみっこさんのように、自分基準のペースで生きていける人は、強い人なんだろうな~と思います。
Commented by fumiblog at 2013-08-13 17:33
・無無さん

市役所でしたか
相場の食うか食われるかの戦場とは対極の世界ですね(≧~≦)
海外一人旅チャンスがあれば行ってくださいね
人と変わっててもいいんだと思えるし、一人で生きていく自信が芽生えると思います(o゜ロ゜)o

・結水さん

自我が強いというのは必ずしもいいこととは限らないですよね
ふみっこもそうだけど、そういう人は周囲に合わせることや自分を曲げることが苦手だったりしますし
結水さんはきっと協調性のあるタイプですね
積極的にやりたいことを持たない人は、その代わりに社会適応力や柔軟性があるわけで、それも社会に上手く溶け込んで生きていくためのひとつの戦略なのでしょうね(適者生存)(゜ロ゜)ギョエ!!
なので今回の記事は自我が強いふみっこのポジショントークなんですよ(´~`)アハハ
Commented by サヴァント at 2013-08-25 02:20 x

ほんとにやりたいことをやるのってものすごく難しくて不公平で努力+運が大事なわけで

青年老いやすく学成り難し

ですよね
せっかく考えて書いた文も消えたので面白くないコメントになりますが
哲学的な人生虚無的つまらん人間なわたしでもやりたいことをやってるときは脳内快楽物質もでてないのにワクワクしますね
それは成長する自分がすきだからなのか自信をもったからなのか答えはわかりませんが
Commented by fumiblog at 2013-08-25 14:39
やりたいことをやるために一番必要なのは情熱で、ふみっこの印象では人生は情熱さえあれば何とでもなると思うのだけど、強い情熱を持ってる人ってあまりいないんですよね

失敗や挫折で挫けてしまったら、それは情熱があるとは言えないですし、行動を継続的に続けることを「面倒くさい」って思ってる人ってすごく多いですからね

サヴァントさんはやりたいことをやってワクワクできてるならいいことです(*^~^*)ノ
Commented by poya@情熱家 at 2013-09-01 13:40 x
ふみっこさんはじめまして。一人旅検索してたどり着きました〜(・ω・)ノふみっこさん大好きです。
情熱は、持って行動することで世間から評価されますが、それによって自己の価値を固定してしまう危ういものだとpoyaは思います。
やりたいことに情熱をもって一人で取り組んでいるうちはまだいいです、それが世間に、評価されると同じことを続けるのは困難になり絶望感を味わうことになります。なぜならその評価はそのままその人の価値基準になり、それがうまくいっていない時のその人は世間的に無価値であるという客観、主観的認識がうまれるからです(・ω・`)王様でない王様はただのおじさん、そこに価値が見出せない国民、王様自身という具合に。絶望、自己否定は情熱をもって取り組んでいるものがある限り繰り返されます、それでもやりたいことなのか、との自問をしながら、ふみっこさんのブログも読みつつpoyaも生きてます☆・゚:*(人´ω`*)
旅の記事も楽しみにしてます〜
Commented by fumiblog at 2013-09-02 22:19
poyaさんはじめまして(o゜~゜)ノコメントありがとうございます

プロスポーツ選手とか作家とかがそうですよね
結果を出してる時は評価・賞賛されるけど、一時的にでも結果を出せなくなったりチームの足を引っ張るとボロボロに貶されますよね
それは人気商売なので仕方ない面もありますが

海外旅行は年末年始以降行ってなくて(≧~≦)よかったら過去ログ見てくださいね
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